光を見ている

まるっと愛でる

関ジャニ∞『アカイシンキロウ』が好きすぎる

 私の「もしジャニーズになったら」の夢の一つに「ライブで林田健司メドレーをやる」というものがあるんですけど(唐突)。過去にひたすらジャニーズアイドルに提供された林田健司(以降敬称略)曲が好きという旨を書き綴ったブログを書いたくらいには林田健司曲が大好きなのですが*1、今回はその中でも曲の良さ×歌い手の良さがサイコーの相乗効果を生み出している名曲、『アカイシンキロウ』について書こうと思います。何となく聴いていたら、あれこれめっちゃいいじゃん…!と唐突に思い立って書いたものなので、流行りがどうとか音楽的にどうとかといった内容ではないです。思い付きとパッションだけで、ひたすら好きポイントを書きました。では!

 

 

 『アカイシンキロウ』は、関ジャニ∞の2009年リリースのAL「PUZZLE」収録曲。作詞:白鷺剛、作曲:林田健司の曲です。

関ジャニ∞ アカイシンキロウ 歌詞 - 歌ネット

 

 一言でいうと振られ(そうな)男の未練の歌です。「君」に縋り付いているけれど、「僕」が愛しているのは今の「君」ではなくかつての日々の中にある「君」で、その過去の「君」と今の「君」を重ねて縋り付いている。「君」はもう心が離れていて、それに気づいているけれどどうしても手を離せなくて、という。どうにも決まりきらないダサさと愛おしさを兼ね備えた男の歌を歌わせたら右に出る者なしみたいなところのある関ジャニ∞なのですが、この曲はダサさがとげとげしさに、愛おしさが狂気に取って代わられた雰囲気の、こいつ結構危ない男なのでは…?という感じなのですが、これが関ジャニ∞の歌声によってどう化けているのか、という感想文を書いていきます。

 

 

 

 まず何と言っても、冒頭の丸山さんのフェイク。これなんですよ。ジャニーズで一番林田健司(形容詞)な丸山さんの本領発揮!!「Baby,love you lady」!!!!!!!(※こんな最高なフェイクあるか!?!???!?という感情)がぶちかまされ、一瞬で耳と心が掴まれたところで歌詞が始まります。

不意に見せた冷たい視線 作り笑いも歪んで

サヨナラ言いかけた君の 唇を思わずキスで止めた

 冒頭の自信たっぷりのフェイクとうって変わって、甘くてどこか純朴な青年像が見えるような歌声で歌われる…と思ったら「思わず」で急に抜けた感じの歌い方になるのがズルいよね!確かにこの男はキスで言葉を止めそう。

 

焦る心空回り 詫びて見ても闇雲な言葉じゃ

もうこれ以上どうすればいいのかわからない

 圧倒的艶。特に「言葉じゃ」のところの甘ったるくて低い音から、「もう」でうわずったような歌声に移るところがマジで至高。当時の亮ちゃんの年齢ももちろんあるんですけど、あくまで「大人びている若造」って感じの主人公像が浮かび上がってくるような、冷静を保とうとしてるけどどうしようもなくなって自暴自棄待ったなしみたいな危うさも孕んでいるような。役者〜〜〜ッ!!!

 

ため息混じり 背を向け振り向きもせず

すがりつく僕の手を振り払う君

 このすばるさんの歌声!投げやりなような、歌詞の粘っこさ(褒めてる)から一歩距離を置いて俯瞰から見ているような、どこか乾いた諦めを感じさせるような、それだけの要素を含みながらも決して世界観を邪魔しない歌声。「ため息混じり」の「ためいき」で、「め」から「い」に移行するときの歌い方が「た〜めぁ〜いき」と、計算されただらしなさみたいな歌声で歌われているのがチョ〜〜いいです。

 

紅いシンキロウ 儚く散りゆく運命

失うならいっそ このまま抱きしめて 壊したい

Everyday燃えさかる 愛のともし火が今は夢の痕

君じゃなきゃ もう愛せない

離さないLady 君だけがLady 僕だけのLady

 『アカイシンキロウ』、「SMAPの『青いイナズマ』のアンサーソングとして作られた(ちなみに『青いイナズマ』も林田健司作曲)」なんてエピソードがあるのですが、稲妻の対義語に蜃気楼を持ってくるセンス、惚れ惚れするほど良い......

 林田健司の強烈なポップ・メロディ、華やかなアレンジ、メンバーは20代という若さ、しかもまだまだ関西の明るいあんちゃんたちのイメージが強かったであろう頃の7人の歌、にも関わらずどこかじっとりした響きのサビ。湿っぽいくせに悲壮感というより「君」を束縛しにとっ捕まえに行きそうな仄かな恐怖が香っている気がする。逆に関ジャニ∞が歌うからこそ狂気とポップさのバランスがいい感じにとれたんじゃないか?とこの曲が関ジャニ∞にきた理由を想像してしまうくらいには、本来すげー暗いサビだと思うんですよね。ポップスって奥が深い。

 基本は全員で同じメロディを歌いますが、「Lady」のところは一人ひとり、そして「壊したい」は丸山さんが歌います。前述したようなテンションで壊したいと歌われると物理的な暴力を想起させるくらいの感じになりそうなのですが、絶妙にここだけ純朴な少年が顔を出すから、昏さに引っ張られ過ぎないという素晴らしいバランス感覚。*2

 

「落ち着きなよ」なんて言わないで まるで他人事みたいに

何度も時間気にしては そそくさとルージュひき直す君

 安田さんの「yay」の良さを噛み締めるところから2番が始まります。この低くて刺々しいyayに、安田さんの演じる(歌う)「僕」の全てが詰まってる。

 不思議なもので、1番の丸山さんと全く同じメロディを歌っているのに、全然違うメロディに聴こえてくるんですよね......尖った歌声でただ情景を歌われると、冷静なのにまるで殴りかかってくるような、喧嘩っ早い青年という「僕」像が浮かんできます。喧嘩っ早いぶん湿度は減って、しかし「そそくさと〜」から苛立ちを肌に感じるような、ひりついた歌声です。

 歌詞に「ルージュ引き直す」とあるんですけど、ここの振り付けのときの安田さん、最高に“良”です。

 

誰かいい人がいるの?嫌なトコがあるなら教えてよ

とにかく理由が聞きたくて つい大声になる

 甘〜〜〜い!!!!!!!先程の安田さんがどちらかと言えば激しく熱い怒りを感じる響きなのに対し、この大倉さんは他の男がいるの?嫌なとこがあるなら直すから、というフラれ男のテンプレみたいなヘタレっぷりと、大声でどうにかしようとするダメ男っぷりで、裏にある冷たい諦め、でもギリギリ理性はあるけど焦りもあって手段を選ばなくなりそうな危うさを隠している感じがして、しかもそれをこの甘い歌声でコーディングしているというこの大罪よ。「とにかく理由が」の「わけ」の部分が、どことなく軽薄な響きなのがいいよね......

君のすべてをわかったつもりだったのに

僕の知ってる君はどこへ行ったの?

 この曲の唯一の理性ことすばるさん。この曲のコンセプトである【僕が追い求めている「(かつての)君」】はどこへ行ってしまったの、と途方に暮れたような、余計な感情がないからこそ湿度も狂気も入り込まない、フラットな感情としての戸惑いだけが目立つように歌われています。なぜすばるさんがこの役回りを?という問いが浮かんできますが、ひとつはすばるさんがボーカリストとしてとても器用であるからで、そしてこの曲の主役はすばるさんではないからなんですよね。この曲では目立つ武器を封印して繋ぎ役、ナレーターに徹するという感じです。

 

紅いシンキロウ 僕を惑わせるばかり

未練の欠片も 残らぬ程君に 溺れたい

Every night 恋焦がれ 確かめ合った想いは夢の痕

君以外 もう愛せない

離さないLady 君だけがLady 僕だけのLady

 ジャニオタなので、最後のフレーズを聴くとキンキの『もう君以外愛せない』が浮かんでくるのですが、同じ単語が使われているのに何でこの曲はこんなに湿っぽくて重い??*3ってくらい、相変わらずサビだというのに暗い。未練の欠片もないほどに溺れたい相手に振られたんだからそうもなってしまうのか...?また、「ゆめのあと」というフレーズを聞くと、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の句を思い出すのですが、「跡」じゃなくて「痕」なのがね...さらに重さに拍車をかけているというか...足跡じゃなくて痕跡のニュアンスだと、サスペンスとか刑事ものの匂いがするというか...まったく、悪い意味でただで終わらなそうな不穏な曲ですね...

 そして大倉さんの「僕だけのLady」よ。大倉さんの冷酷な艶が存分に発揮されていて、ヨッ!悪い男!とコールを入れたくなるくらい良いです。

 

 そして、すばるさんのフェイクがワンフレーズ、これは完全に「導入」なのですが、そこからバトンタッチした丸山さんがまた気持ち良さそうに暴れるわけですよ。器用にやっているけど、この段階ではまだ解放までは行っておらず、なのに完全にマイケル・ジャクソンを踏襲したような「アゥ!」「Fo!」がかまされるという贅沢な繋ぎを経て、

 

想い出の日々だけじゃ生きられない

 という、湿度も狂気も苛立ちも危うさも抜かれた村上さんの独白がなされます。ここでこれまでの情念が一旦リセットされることで、もしかしたら毒気が抜かれた「僕」になるのか、いやそんな簡単に変わらねえだろ、このままだろうとなるか、運命の分かれ目のパートです。

 

紅いシンキロウ 儚く散りゆく運命

失うならいっそ このまま抱きしめて 壊したい

Everyday燃えさかる 愛のともし火が今は夢の痕

君じゃなきゃ もう愛せない

離さないLady 君だけがLady 僕だけのLady

 やっぱり「僕」は最後まで「僕」だったエンドでした。グループって、歳を重ねていくごとに声が何となくまとまっていって「グループとしての声帯」とでも言いましょうか、複数人集まっているはずなのに一人の声に聞こえてくる現象が起こると思っているのですが、この時代はまだそこまでいっておらず、7人分の声が聴こえることでの密度があっていいんですよね。この場合はそれが歌詞の重たさを表現する要素の一つとしていい作用をして、若さゆえの軽さに持って行かれないで曲の意図をきちんと伝えられている感じがします。それもあって、善い男ではないけど、ある意味真っ直ぐさ、必死さがあって味がある男だったんだな、と感じるしかないみたいな、やっぱり救いがあるわけではない曲なんだよな...報われないとはまた違う、後味が悪いけどいい映画と同じジャンルの曲だと思うんですよね。

 そして歌詞が終わるのと重なるように丸山さんのフェイクが解放モードになります。もう、圧倒的の一言に尽きる。湿度があるのにリズムやメロディを完全に乗りこなして、世界観を壊さないのにしなやかで強いポップなフェイク。すばるさんとの掛け合いがあって、最後は完全に丸山さんに任された形で滑らかな高音、咆哮、がなりといって、最後のフレーズを聴いてしまうとなんか意外といい終わり方をしたのでは...?と、先程まで展開されていた重たい世界観が力技でまとめ上げられてしまったような感じで、スカン!と閉じてこの曲は終わります。

 

 

 マジでタイトル通りの話しかしてないんですけど、とにかくこの曲が好きだということを延々と書いていったというブログでした。2022年に『アカイシンキロウ』の話をしているオタクがどれほどいるってよという気もしますが、好きなとき(好きになったとき)、その瞬間こそが俺にとっての旬なので、ただただ楽しく書きました。やっぱり何度聴いても『アカイシンキロウ』は良いし、丸山さんのフェイクは最高でジャニーズで一番林田健司だし、ポップスっていいなあと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:林田健司が好きだ〜ジャニヲタの私が好きな林田健司の曲〜 - 光を見ている

*2:逆に当たり前みたいな顔をしてヤバいまま突っ走っていくサイコパスみがある気がしないでもないが......

*3:とは言えKinKi Kids大先生なので、向こうサイドもそれなりに重い