光を見ている

まるっと愛でる

現在完了進行形で続く未来 〜Ken Miyake NEWWW Live Tour 2022〜

 

 10月31日という日程を取ったのは、シンプルに公演の会場が居住区と近いからですが、でも、どうしてもそれ以上の意味を乗せてしまいます。2021年11月1日からもうそんなに時間が流れていたのか。V6が解散してから本当に1年が経ってしまうのか。〜か月ではなく、これから過去を年単位でカウントしていくことになるのかと思うと、なぜかとても寂しい気持ちになっていました。

 この期間の私のV6およびブイの一族の皆様との距離感や向き合い方は、微妙なバランスを取ってきました。悩みましたが経済的事情、そしてどうしても舞台に立つ剛くんを見たいという現金な思いで、結局FCはトニセンと剛くんの二組に入りました。それぞれのSNSはフォローして動向を追っており、トニセンロードは全話購入して、マーダー、フォエプラ、OZ、凍える、バーディ、そしてGuys俺たち、ブイ間連は10現場になる予定です。剛くんの舞台は仕事の都合でどうしても行けなかったけれど、チケットは取っていました。トニセンの配信シングルは毎回購入しています。未だにgrooveコン本編を再生できず、MC集とメイキングだけ見て、相変わらずの空気感に安心しています。V6の曲を全く聴けない時期と普通に聴ける時期が行き来していて、8、9月はしんどくて聴けない時期でした。いわゆる自担舞台のフォエプラで解散以降初めて博を見たとき、私の最初で最後のV6コンであるgrooveコンの時のような胸の高鳴り方をせず、穏やかな感情しか湧き上がってこなかったとき、それ自体の良い悪いではなく、私にとってのV6の解散の意味を理解しました。リリースされるトニセンの歌声を聴いて、音楽活動を止めないでいてくれること、将来のライブの可能性を嬉しく思いながら、元々あったV6と20th Centuryの歌声の違いを改めて感じ、「V6の歌声」が更新されないことに打ちのめされた思いになることもありました。V6になるずっと前からトニセンでは末っ子で、その末っ子ムーブをファンの前では隠すことなく自然に出す井ノ原さんを愛おしく思いながら、ふと再生した「そういえばこれやってなかったな旅」で岡田さんへの態度がびっくりするくらい「兄」で、慣れ親しんでいたはずのこの姿を久しぶりに見たこと、こういう振る舞いをする人だったことを忘れていた自分にショックを受けました。これに関しては完全に憶測でしかないけれど、FC動画で時折、それまでカミセンに向けていたような甘やかし方を井ノ原さんにしている気がする博を見て、何とも言えない喪失感に寂しくなることがありました。坂本さんはやっぱりあの日から変わらず、この人にとってV6はなくなったものではないけれど全うしたものではあるのだろうな、と考えていました。

 つらつらと書いてきましたが、ようやく「V6が更新されない」ことがどういうことかを理解し、そしてそのことにまだ慣れたわけではないことを知った時間でした。

 

〜〜〜ここまでが10月30日に書いた内容〜〜〜

 

※ガンガン内容に触れていきますのでネタバレ注意

※微妙にフォントが違うのが混じっているのは自分のふせったーから一部コピペし編集したためです

 

 ほんと、ブイの一族ということで先行で健ちゃんのライブに申し込めるようになっていることが不思議というか奇跡というか、なかなか前例のないことだと思います。トニセン名義のFCで当選した健ちゃんソロコン、行ってきました。会場に着き発券すると3階席、この会場で3階席しかとったことがないけれど、どの席でも割と近く感じる会場だしいいや、何より健ちゃんファンの方が楽しめますようにという思いと、昨年以降トニセン現場しか行っていなかったため、久しぶりにV6を感じられる現場に行けたことの嬉しさも感じながら、会場に流れる健ちゃんの新曲とステージのスクリーンに映る歌詞を眺めていました。当たり前のようにオレンジのネイルを塗ってきたけれど、会場は青のペンライトばかりで、こういう光景に慣れたときまた寂しくなるんだろうなと始まる前から切なくなっていると、ふとすれ違った方のスマホのホーム画面がgrooveコンで岡田さんからプレゼントされたあの6人のハートで、きっと私と同じようにあのツアーに参加していたV6ファンの方と1年ぶりに会えて、勝手に懐かしい気持ちになっていました。会場はプピーこと今回のツアーグッズのペンライトが体感9.5割を埋めていて、それしか持っていないためgrooveコンのペンライトで参加した自分が何となく申し訳ない気持ちになっていると、健ちゃんの影アナが始まり、そしてライブが始まりました。

 

 

 1曲目『HELLO』。そうくると思わないじゃん!?!?!?という衝撃が何よりも最初に襲ってきて、どうしても感じてしまう、わかってしまう健くんの意図、そして思いに触れたことで一気に感情が揺さぶられ、開演前に感じていた不安が一気に霧散し、ただただ健くんのV6への思いを受け止めようと立ち尽くしてしまいました。

  まず、あのセットは健くんの心の中、心象風景を表しているのだろうなと解釈しました。薄暗くて、安心できるけど、一人分しかない孤独な空間。解散を発表したとき、健くんは「宝箱にしまう」とV6の閉じ方の理想形を語っていましたが、あの空間はその言葉通りの場所だったように感じました。最初あそこにいる健くんは、V6を失ったあの時から時計の針が止まったままの心に抱えている癒えない喪失感、悲しみ、寂しさを生々しく感じている姿で立っているように見えました。

 そもそもこの曲は20周年のベストアルバムにはじめて収録され、それをひっさげた20周年ツアーで初披露された曲です。そのベストアルバムでで発表された新曲は3曲、『Wait for You』、『~此処から~』、そして『HELLO』です。この20周年三部作は、それぞれ「未来」「現在」「過去」を歌っている、と当時解釈されていた曲たちであり*1、それに則ると『HELLO』は過去、そしてこの場合の過去とは「(解散した)V6」へのエレジーなのではないだろうか。ソロになって初めてのコンサートで、最初にV6という過去を持ってくるとは予想していなくて(セトリのネタバレを見かけて、『HELLO』をやるのは知っていたけれど1曲目だとは微塵も思っていなかった)、そんな、ここでV6を思い出すことを、V6を感じることを許してくれるの?という驚きと、過去として歌われるV6の姿を目の前で見せられるのがあまりにも辛くて、どうやって受けとめればいいのか最初はわかりませんでした。ただ、ひとりで歌われるとあまりにも孤独で、聴いているこちらにも健くんの痛みが伝わってくるような『HELLO』だったけれど、単純に失った過去の痛みを歌っているわけでもなく、過去に語りかけるようでもあり、どこか未来を祈る歌にも聴こえてくる気がしました。

 ヤマシタトモコの「違国日記」という漫画があります。主人公の田汲朝は突然の事故で両親を亡くし、母親の妹である高代槙生の元に身を寄せともに暮らしていく姿を描いた作品なのですが、2巻で朝が彼女の家族と暮らしていた家を引き払うための整理をしながら、母親のことを思い出というには近すぎる、当たり前にそこにある距離感のこととして槙生に語ります。ふと朝は「おかーさんのこと 現在形で話してるね」とつぶやくと、槙生は過去分詞は習ったかと問いかけ、現在完了進行形の話を始めます。

 

…「今読んでいる本」は 今ここでじゃなく読み途中の「読んでいる本」はね

I'm reading ではなく 過去のわたしから 今 少し未来のわたしへ 繋がる

この線の上 I've been reading 「今 読んでいる」

だからあなたは… なんだろうな You've been thinking of them 続いている

それを強引に断ち切る必要はない

 

ヤマシタトモコ「違国日記」第2巻 P28(kindle版)

 

 あの空間で、1曲目に健ちゃんひとりで歌われた『HELLO』は、そういう手触りのものでした。解散によりリアルタイムで動く存在としてのV6には終止符が打たれたけれど、まだV6は続いている。それはもう終わってしまったことを突き付けられる苦しみを生み、しかし同時にまだそこにあると感じることを許してくれる希望も生む。それをV6の一員である健ちゃんが示してくれることに、V6ファンに対する途方もない優しさと、健ちゃん自身のV6への思いも感じ、ライトブルーのペンライトでほとんど埋まった会場にピンクのペンライトをやりきれない思いを抱えながら光らせる自分の思いを掬い上げてもらった気がしました。思い返すと解散を発表してから最後の日の挨拶まで、健ちゃんは悲しむことを肯定する言葉をかけてくれていました。その言葉は、もしかしたら解散を決めた側が言うべき言葉ではないのかもしれません。それでも、悲しみが続くことで思いが今も続くものでもあると感じられる、過去にできない思いをきっと私(たちファン)だけでなく、V6だった人も感じているのかもしれないと思えたことで、少しだけ喪失の痛みが和らいだ気がしましたし、健ちゃんにとってもV6はまだそういう存在であるのかもしれないと思えたことは不思議と嬉しいものでした。

 

 そして2曲目から続くV6楽曲。過去を歌ったすぐ次に「そう 今だけを生きろ 音楽だけが時間を超えるよ」という『MAGIC CARPET RIDE』を持ってくるのにはいっそ舌を巻かれる思いでした。続く『分からないだらけ』は、ソロバージョンもリリースされている曲であり、何より健くんのあてがきのような*2曲で、grooveコンと比べダンサーさん(YOSHIEダンサーズという豪華な布陣)と作り上げる作品という色がより強くなっているように感じ、新しい光景を見たなという思いでした。その中でもサビ終わりの「カンカン!」のくだりを思い出し、ちょっと面白くなってほんの少し切なくなりました。

 『悲しいほどにアイドル』。まさかこの曲を見れると思っていなかったです。2011年から10年以上経っても歌えること自体が既にすさまじいのに、目の前で歌われるとセクバニコンの映像で見たときよりさらに凄みをまとっていて、こんなアイドル健ちゃん以外会ったことない……と圧倒させられました。2011年にこの曲で歌われているのは、アイドルであることでprivate、personalのアイドルではない自分の在り方を抑圧されることの哀しみや辛さだと思っていたけれど、今回は「演じている自分も決して嘘じゃない」が強さを持って響いていた気がしました。見たい姿を見てるだけかも知れないけど、特に『HELLO』『分からないだらけ』で、ピンライトの下に移動するというのが振付として組み込まれているのか、ステージ上の姿として印象的だなと感じていました。光の当たるステージの上に立ち続ける意思表明なのかななんて思ってたけど、この曲を聴いてそんな甘いものじゃなかったのだと思わされました。どストレートに「これだからやめられないのがアイドル」と示してきて、40代でグループを解散した、ひとりで立つことを選んだ孤高のアイドルの「生涯アイドル宣言」を見せられたのだと思いました。恐ろしい男……

 『SPARK』を、ライブ版のイントロからやってくれたのが本当に感謝でした。あの予兆があるだけで気持ちの跳ね上がり方が桁違いなんですよね。細かいところや実際のところは覚えていないのですが、私がYOSHIEダンサーズがV6のメンカラを意識したであろう衣装を着ていることに気づいたのはこの曲でした。そのときの気持ちを何と表せばいいのか。まず『SPARK』は何よりもパフォーマンスありきの曲だと思っていて、それを一人でやられたらどうしても見慣れた6人の姿ではないことの方を意識してしまいそうだったから、皆さんが踊ってくれて私は本当に良かったです。そして、『HELLO』のときと似た思いなのですが、ソロコンでV6の姿を見ることを許してくれるのか、ということに健ちゃんの愛を感じてどうしようもなく嬉しく、少し切なくなりました。同時に、YOSHIEさんにオレンジの衣装着せてた(よね?)のを見てなんて贅沢な男!!!と心で叫んじゃいました。いやVとYOSHIEさんの縁は健ちゃんから始まったものですから正統なアレですけど……そしてYOSHIEダンサーズさんと並んでもやっぱり細くて華奢......ダンサーズを従えた図、身長差があんまりなくて寂しくなったりもしました。

 会場BGMとして流れていた新曲、そしてPVが公開されている『Destination』、健ちゃんと音楽の趣味が合うのが本当に幸せ。V6ファンをここまで続けているのもV6と音楽の趣味が合っているというのがかなり大きな理由で、トニセンの配信シングル3曲も変わらず好みで、さらに健ちゃんの曲も好みで、さすがVの一族!と思いました。アルバム発売楽しみ。


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 ファンもだけどV6がミュージック・ライフをすごい好きな印象があったけど、まさかここでも聴けると思ってなかったし、ペンライト振るのめちゃくちゃ楽しかった!!!同時に、もうV6のコンサートでペンライトを振ることはもうないのかと思って、急に寂しさが込み上げてきた瞬間でもありました。

 『Full Circle』は、解散前と後でかなり印象が変わりました。最後の井ノ原さんのパート「I'm gonna be alright」がどこか祈りのように感じられて、V6の文脈から少し距離を置いて聴くとこんなに静かな曲だったんだと気付きました。この曲で1番印象に残っているのはハピライで、あのとき漂っていた得体の知れない緊張感が張り詰めていた感覚だけまだぼんやり覚えていて、あの時から随分時間が経ったんだなと思いました。てかこれをひとりでやろうってのがすでに凄いんですけど。
 『The One』。スクリーンに映された宇宙っぽい空間の中に輝く金の光はペンライトを持つファンの光だと思ったし、ラスサビで映された満開の花びらはgrooveコンの最後の衣装だと思いました。あのときはお互いいっぱいいっぱいで、きっとV6の方も、もしかしたらV6の方が、自分たちの思う幕引きをするために堪えていた、語れなかった思いがあって。そのためにあの場で交わすことのできなかった思いのやりとりが多分あったけれど、あのとき私(たち)が届けたい思いはちゃんと届いてたんだと思いました。いつかの健ちゃんのインスタのストーリーで、STEPについてきたメッセージメモが壁一面に貼られた前で撮った写真、メッセージを書いているときはどう使われるか知らなかったし、ライブ当日も、ドキュメンタリーを見てもどうなっていたのか分からず、果たしてあの言葉は届いていたのだろうかと思いを馳せるしかできなかったけれど、あの写真でちゃんと届いていたことを知れました。そして今回のこの曲の演出によって、健ちゃんから「届いているよ」と言ってもらえた気がしてじーんときました。そしてその次の曲の緊縛で情緒!!!!!!になりました。だって情緒............(同じこと2回言う)
 Microの提供曲と紹介された曲。記憶がすでに怪しいけど、会場BGMで開演直前まで流れてた曲で合ってる...?違ってたらごめん...健くんなりの『〜此処から〜』じゃんと思ってしまってちょっとまだ咀嚼し切れていません。ふと、『〜此処から〜』の波線は過去と未来をつなぐ意味の記号だったのかも、と思い浮かびました。此処があるから過去を繋ぎ止められるし未来も存在させられる、20周年の時6人が思いを馳せた過去、願った今、望んだ未来の軌跡を健くんも健くんの方法で辿っていくのだろうかなんて思ったりしました。
 本編最後の曲。オープニングの部屋に戻ってきて、スクリーンに映された歌詞を見ながら、最初剛くんへの思いを歌ってるのかと思いましたが、徐々に終わったV6への思いなのかなと感じました。「更新されるV6」としての健くんは、2021年11月1日で区切りがついたんだなと思います。ただこれからはV6の語り手として、V6を解釈すること──V6を経たパフォーマンスだけでなくV6そのものも──はやめないんだとも思いました。そうする限りV6は続く、と言うよりそうすることでV6を存在させようとするのかなと。

 これからも今現在の健くんにとってV6どういうものかを語るし、ある意味過去のものではない、現在完了進行形として続くV6を共に見ていく営み、それはファンと同じ地平に立って見ている景色なのかもしれないし、健ちゃんが健ちゃんとしてひとりで(も)V6を背負う覚悟とも言えるものなのかもしれないなと感じました。

 最後にまた同じ部屋に戻ってきて歌うと、健くんは心のドアを開け放ちます。そこから漏れる、健くんの全身を包むほどの眩しい光は、健くんがこれから立ち向かっていく世界であり健くんを迎え入れる世界でもある、というストーリーを読み取ったところで本編が終わりました。最初は宝箱の中で展開されるV6の曲という印象だったのが、ひとりで立つ三宅健としての物語として幕が閉じられる姿はドラマティックで、意図したのかそうではないのかわからないけれどどうしても拭えない切なさが会場を覆っていました。


 アンコールのクラップをしていると、車を運転する健ちゃんの映像が流れ出しました。そのカーステレオから微かに聴こえる『意味のないドライブ』。これまでライブでもテレビでも配信でも披露されたことがない曲です。

 

 剛くんの歌声が会場に響き渡りました。耳馴染みのある歌声なのに、何が起こっているのかよくわからなくて、思わずええっ!?と声を上げてしまいました。

 ステージに立つ健くんは、マイクを持っていますが構えることはせず、会場に流れる健くん以外のボーカルの入ったオケを背負い立っていました。剛くんのパートの次は健くんのパート、そこを歌い終えると次は岡田さん。サビは井ノ原さん。続いて博。締めは坂本さん。それまで通り、他のメンバーのパートを健くんと一緒に聴きながら、この曲の1番を「V6のボーカル」で聴き終えました。
 まさか剛くんの歌声をステージで聴ける未来が来るとは思っていませんでした。この曲は今回が初パフォーマンスの楽曲だから、ファンの記憶にあるのは音源の、6人の歌声しかありません。そういう曲を健くんに全て更新されると、少なくとも私は、新しい表情を見れたという思いだけでなく、健くんの歌声を聴きながらきっとほかの5人の歌声が脳内に流れてきて、そのことにさみしくなっていたと思います。それを、同じように5人の声が記憶の中から聴こえていることをわかってくれて、一緒に5人の歌声を聴くことで、共に不在の痛みを分かち合うことができるなんて、どうしてこの人はこんなにもファン心理というか心の機微がわかるんだろう?と健くんの優しさに泣きたくなりました。2番から健くんの声で歌われるこの曲は、憂鬱が柔らかく溶け出す水曜日の夜の車内のように、そっと温かいものになっていました。トニセンが最近『水曜日』という曲を出したけれど、それと重ねて聴いたりしていました。

 

 印象的なイントロが鳴り響き始まったのは『Crazy Rays』。ライブで披露されないまま解散してしまった曲で、たぶんV6ファンがライブで見たかった未披露曲ランキング第一位の曲です。この曲を最後に持ってくることがどういうメッセージを届けようとしてくれてのことなのか、本当に愛しかないです。これは私が本当に勝手に思っているだけの話ですが、もしもいつか来る未来があるのなら、この曲を6人で歌ってほしいと願っている曲でした。その日が来るまで歌われることはないと思っていました。それを健ちゃんに歌ってもらえるなんて。
 永遠なんかにキョーミはないけど泣いたのさ。V6が永遠ではなくなった後に歌われるとこれ以上ないくらい残酷な詞に化けるのではと思っていたけれど、どこか晴れやかに聴こえてきたのは、健くんがこのソロコンを通して「V6の未来を見てしまうことを諦めなくていい」「まだ同じ夢を見ていこう」といってくれたからだと思います。「永遠なんてない」と知ってしまった私(たち)に、永遠はないのかもしれないけれど、だからといってV6が過去に遠ざかっていくものになるわけではないんだよ、と言ってもらったようでした。

 

 

 V6のライブは健ちゃんの投げチューが終わりの合図なのですが、それをやっと見れたのが嬉しかったです。最後のgrooveコンは円盤を見れていないのでどうだったかあやふやだし、たしかそういう終わり方ではなかったような気がして、それもあってあのときV6は本当に終わったんだ……とショックを受けたので、「いつも通り」のバイバイができて本当に良かったです。

 

 

 

 このライブを見るにあたり、私の心は2021年11月1日にいました。そこから見る2022年10月31日という未来がどうなっているのか、自分がどうなるかわからなくて不安でした。そういう思いがオープニングのあの部屋だったのだと思うと、マジで健くんファン心理をお見通し過ぎる恐ろしく聡明で鋭いアイドルだし、そして同じくらいV6への思いがあるんだなと知れて、全然傷が癒えていない、未だにgrooveコンを再生できないところにいる自分も、それでもトニセン、剛くん、健ちゃん、岡田さんの活動を楽しみにすることができていて、あの日以降気持ちが変化したことも変わらないままでいることもあるV6ファンでいいのか、と思えるようになりました。解散から1年が経って、まだそれしか経っていないのかと思いながら、とうとう1年が経ってしまったのかと時の流れの速さに切なくなりながら、まだ続いていくV6と共にあろうと思えたソロコンでした。

 

 

 

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 実は直前に行っていました。つい最近見た光景がライブの中で映されてびっくりしたし、この場所が待ち合わせ場所になっていることが改めて嬉しかったです。また会おうね!

 

 

*1:もちろんすべてのV6ファンにというわけではないですし、本人たちからの公式メッセージでもありません

*2:というか健くんの剛くんに対する思いを描いたような曲だと思っている