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ドラマ「みなと商事コインランドリー」の柊くんをクィアリーディングする~シーズン1編~

 

 

 ドドド怒涛の勢いで超特急にハマったオタクです。こんにちは。現在初現場であるせぶいれのうたに向けてワクワクの日々を過ごしています。せぶいれのうたというところで察せられるかもしれませんが、私はTL受動喫煙により『a kind of love』という最高救済ソングとBULLET PINKちゃんという最高QUEENを目撃したこと、そしてもうひとつのトピックにより超特急と出会い、ゆねくでT.I.M.Eを見てああこれは好きなやつ......となり、現在推しメン登録を7号車・タカシくんにしています。自分でもどうしてタカシくんにこんなに惹かれたのかよくわからないのですが(往々にして沼落ちの決定的な瞬間を覚えていないオタク)、7号車推しになった今となってはいやタカシくんを推さない理由とは…?になっています。タカシ大切。タカシ素敵。基本的に各グループに推し・自担は1名制度が適用されるのですが、同時にDD気質でもあるのでエビダンに所属されている皆さんを好きになっているのですが、今すごい勢いでM!LKの吉田仁人さんにメロっています。かっこよくて……そしてあまりにもベストなタイミングでダンダンエビダンが放送されているおかげで、各グループの皆さんの顔と名前が一致し始めていてすごいです。

 

 タカシくん推しの私ですが、「超特急のみどりの窓口とはマジでよく言ったもので、まさに超特急に強く惹かれるようになったきっかけが、草川拓弥さんが主演を務める「みなと商事コインランドリー」というドラマでした。

https://www.tv-tokyo.co.jp/minasho2/

 

 私はめったにドラマを見ない&なかでも恋愛ドラマは苦手とか嫌いとかの分類にあたるタイプの人間なのですが、このドラマは1期、2期ともに完走し、人生の中でもハマったドラマトップ3に入る大切な作品になっています。人生初のドラマポップアップにも行きましたし、まんまとテレ東本舗で写真も買いました。まずドラマを途中リタイアすることなく見届けること自体が私にとってかなりレアだし、ドラマのポップアップとかアイドルの展示にもほっとんど参加したことのない人間なので、作品を見る以外の方法で関わりたい欲求が出たのはほんとに珍しいです。その理由が、登場人物のひとりである柊くんというキャラクターの存在です。

 

 当ブログでは何度かこの話題で文章を書いているのですが、私はAロマンティック・Aセクシュアルの人間で、世にリリースされたコンテンツを取り上げ(特にスマイルアップ*旧J事務所のタレントが関わってきたもの)クィアリーディングし、Aロマンティックに読みとく…ということをいくつかしてきました。

 

signko.hatenablog.com

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 「クィアリーディング」とは、異性愛の枠内に性愛のあり方に注目し、異性愛だけを前提にした読解では抑圧されてしまう可能性に光をあて」ていく作品の読み方のことです。*1
 私がクィアリーディングをする動機は「世の中に自分のための物語があまりにも少なすぎる」からです。ヘテロに向けた作品が大多数を占める社会でクィアを扱った作品はまだまだ少なく、その中でも特にAロマンティック、Aセクシュアルは社会的な認知度も低く、そのために「そう」と読めるキャラクターが登場する作品はさらに限られており、正直全然足りないです。ここ数年の間に、web漫画、テレビドラマ、映画などでAスペクトラムパーソンと明言されていたり、そこまでではなくとも匂わせられるキャラクターが登場する作品は徐々に増えている体感はありますが、ステレオタイプ的な表象に留まっていたり、マジョリティ(非Aスペクトラム/Alloパーソン)に向けた描き方の域を出ないものが多く、私のための作品と思えるものはそこまで多くありませんでした。とか言ってる間にアマゾンプライムにて「ハズビン・ホテルへようこそ」という最高作品がリリースされました。みんな見て。主要キャラクターであるアラスターはアセクシュアルであると明言されています。まあ私はハスクおいたんが一番好きなんですけど......

 

 そんな中で出会ったドラマ「みなと商事コインランドリー」における柊くんは、セクシュアリティを明言されてはいませんがとてもAロマ的な人物であり、そしてAロマパーソンとして非常に魅力的に描かれていました。そこで今回は、ドラマみなしょーシーズン1における柊くんにおいて、どの場面からAロマンティックパーソンと読み解くことができるかの解説、Aロマパーソンからこの作品での柊くんのAロマンティック可能性について、そしてあす柊とはどのような関係だったのかを書いていこうと思います。

 

 

 

注:このブログでは「Aロマンティック(Aロマ)」を「他者に恋愛感情を抱かないセクシュアリティ、及びそうである人」という意味で使用します。

 Aセクシュアリティについてもっと知りたいという方は、こちらのサイトをご覧ください。

acearobu.com

note.com

 

 

 シーズン1では、何と言っても湊さんとシンの出会いから付き合うまでの経緯に重点が置かれているので、明日香と柊くんの関係はあまり深くは描かれていません。しかし、柊くんのAロマ可能性を読み解くためのセリフやふたりの関係性の意味付けなど、クィアリーディングのポイントはたくさんあります。

 

 

 ふたりの展開が動き出すのは9話からとなります。ここまで明日香は柊くんを「何考えてるかわからない」けど気になる存在として意識しているように描かれていますが、柊くんが勤める塾の生徒であり、シンの妹である桜子が柊くんを気になっており、告白しようとしていることを知ると、柊くんが桜子をどう思っているのか探りを入れます。

「あんなかわいい子に言い寄られたら、柊くんも即OKしちゃうよな?」

「ん?なんで?」

「…好きになっちゃうだろ?」

今まで好きとか嫌いと考えたことないし、付き合うとかよくわからない

 

 思ってもみなかった柊くんの答えに戸惑いを隠せない明日香は、柊くんの海外留学についていき、旅先で「お誘い」を受けたときに「(明日香は)俺の彼氏だから」と柊くんに言われたことを持ち出し、「俺たちが付き合ってたあのときも…」と言いかけると、「付き合ってないだろ?あれはただの”ふり”」とすげなく答えます。「俺が柊くんについてってから、俺らずっと恋人同士として旅してきたわけじゃん。だから、俺は結構マジで柊くんのことを…」と言いかけるも、柊くんはピンと来ていない様子を見せます。その表情を見て「俺はてっきり柊くんもその気あんだって…」と言いよどむと、少し考え明日香は、俺の猫だからと言い放ち、ひとりで歩いていきます。明日香はその後ろ姿を呆然と眺め、「猫?」と声こそ出さずともものすごく困惑しています。

 

 この場面では、柊くんのAロマンティックな可能性と、明日香との関係性の解釈について読み解いていこうと思います。

 Aロマンティックを説明しようとするとき、「好きという感情が(わから)ない」「付き合いたいとか、ドキドキするとかが(わから)ないといった表現がよく使われます。(先に挙げたドラマ「消えた初恋」でも、井田は「好きとか嫌いとか俺にはよくわからねえんだ」と語っており、そこからクィアリーディングの可能性を掬い上げることができました)よって、こういったワードを発した登場人物はAロマパーソンであると読めるかもしれない、と察するきっかけとして機能する側面があると考えていいと思います。

 そして、ここで注目したいのが「明日香は俺の猫だから」です。何の脈絡もなく出てきたセリフに見えますが、ここからはいくつかの意味を読み取ることができます。

 柊くんは「付き合っていたと思っていた」ことは「そうではない、あれは”ふり”だ」と否定しますが、明日香の匂わせた「付き合いたい」「恋人同士になりたい」期待には、イエスともノーとも応えていません。一方で、この場面の少し後で、桜子が柊くんに告白するシーンが描かれるのですが、「柊先生、好きです。私と付き合ってください」という言葉に、一呼吸もないくらいの間で「気持ちはありがとうございます、でもごめんなさい」と明確に断っています。柊くんは、ガウディの人生を通してこの世界に「恋愛感情が存在する」ことは知っているようですが、自分自身は「好きとか嫌いとか、付き合うとかよくわからない」と感じています。でも「告白」がどういう意味を持つのか、自分が「付き合う」をすることができないことはきっとわかっていて、それを言葉にすることができる人なのです。(それもわからなかったら、きっと桜子の告白にもイエス/ノーでは答えなかったでしょう。当然、何がわかるか/わからないかはまさにスペクトラムで、何を理解していればAパーソン/ではないという基準はありません)
 「好きとか嫌いとか、付き合うとかよくわからない」ことを「わかっている」人に説明するのは面倒ですし、説明したところで理解されず、相手を戸惑わせたり、冗談と捉えられたり、「いつか運命の人が現れるよ」なんて的外れな励ましをされたり......と、伝えたところでこちらが傷ついて終わる経験を何度もしてきているのだと思います。なぜなら、この社会には人は必ず、誰もが他者を(恋愛的に)好きになる」という規範が存在しているからです。これを恋愛伴侶規範:amatonormativity*2と呼びますが、この規範は「中心的で排他的な恋愛関係こそが人間にとって優先されるべきである」という前提によって成り立っているため、友情や、それら以外で表現されるのがふさわしいケア関係などの価値を、恋愛によって構築される関係*3と比べ相対的に下げられてしまう有害さを持っています。この規範が社会に入り込むことで、例えば「友達以上恋人未満」のように、恋愛の方が友情より価値がある…という考えが共有されたり(当然それらは優劣をつけられるべきものではありません)、人生を共にしたい相手と望む関係は結婚であり、それをすべての人が望むべきと社会から要請されたり*4と、まずいいことは起こしません。そしてこの規範は、他者に恋愛感情を抱かないAロマンティックパーソンを差別や偏見に晒し、人間関係を諦めさせたり、悔しい思いをさせたりすることがあります。そしてそういう社会で「好き」は恋愛に回収されてしまうため、彼ら(≒私たち)は「好き」という自分のための言葉や感情を、恋愛に奪われてしまっているのです(それがどれほど辛いか!)

 「好き」には応え(られ)ず、また明日香と「恋愛関係」を築きたいわけではない柊くんは、明日香の期待への反応を全くしない方法はとらず、「猫」という言葉を使って明日香との関係を定義付けます。そしてこの行為とは、明日香を非・恋愛規範的な存在である「重要な他者」とし、「純粋な関係性」としていく営みであると読めるのではないだろうか?と思いました。

 「現代思想Vol.49-10【恋愛】の現在(2021年、青土社」の中の『クワロマンティック宣言─「恋愛的魅力」は意味をなさない!(中村香住)*5によると、「クワロマンティック」という性的指向の一般的定義は「自分の感じる(他者の恋愛的魅力とそうではない)魅力のちがいを区別することができない人、自分が魅力を感じているのかわからない人、恋愛的魅力や性的魅力は自分に関係ないと思う人」と紹介されているが、クワロマンティックとは「恋愛的魅力が『わからない』」という『意味間の違いではなく恋愛的魅力』と『恋愛の指向』が『意味をなさない」ということに関するものだった、つまり「恋愛的魅力」という社会にあるモデル自体に積極的に抵抗するアイデンティティであると説明しています。そして、イギリスの社会学アンソニー・ギデンズの提唱した「純粋な関係性」を引用し、その関係性を築いていく相手を「重要な他者」としていく当事者実践について述べられています。

 

 「重要な他者」との間で何よりも一番大事な実践は、まずその人との関係性を一から積み上げ、相手と自分の間にしかない固有の文脈を構築していくことである。それは、相手と何度もあったり話したりしているうちに、自然と積み上げられていく。とくに発話行為の積み重ねによって、相手と自分の間でのみ通じる共通言語のようなものが生まれていく。それは、世界の分析枠組みを新しく獲得することでもあると私は感じている。

─「現代思想Vol.49-10【恋愛】の現在(2021年、青土社」よりクワロマンティック宣言─「恋愛的魅力」は意味をなさない!(中村香住)』から引用、p66

 その上で、一番難しいのは、『重要な他者』たちのことを、外から見ても、私にとって大切な人たちだと認識してもらうことだ。(中略)─だが、たとえば世間一般において、「恋人」であれば、その二人の関係性においてなど詳しく知らずとも、すなわちその人にとって相当に重要な存在であることが誰の目にも明らかだ。しかし、重要な他者」たちの場合、それは難しい。「恋人」といったわかりやすいラベルが貼られていない相手に関しては、ほとんどの人は、「(ただの)友達」のカテゴリーに入れようとする

─同上より引用、p67

 …つまり、いくら相手を「重要な他者」としようとしても、この社会では「恋人」とされるか「(ただの)友達」とされてしまうのです。この不幸な二者択一を迫られることが、先述した恋愛伴侶規範の大きな弊害と言えるでしょう。
 その上で、氏は自身の実践についてこう説明しています。

 そこで最近は、関係性に暫定的に名前をつけるという実践を行ってみている。(中略)─あくまでも関係性は今後も変わりうるという前提のもと、ある程度の関係性が構築されてきたらいったん名付けをしてみる。そうすることで、友情か恋愛かなどといったどうでもよい区別とは別の地平で、その人との固有の関係性を重要なものだとみなしやすく/みなしてもらいやすくなる

─同上より引用、p67

 

 この一連の流れが、まさに「明日香は俺の猫だから」という柊くんの言葉に表れていたと思います。
 柊くんは恋愛感情がわからないため、その感情を前提とした「付き合う」に応えることはできませんが、そのことを伝えても、明日香が理解した様子は見られません。(これは明日香個人の問題というだけでなく、そもそも社会は全ての人がその感情を備えているという前提で動いているため、「そうではない」人の存在を想定しないことがデフォルトとなっているという表れと読むのが自然だと思います)そこで柊くんは、恋愛に自分の感情を寄せるのではなく、固有のカテゴリーとしての「猫」という表現で自分と明日香の関係を説明します。つまり柊くんにとって明日香は「重要な他者」なんですよね。これを愛と呼ばずして何を愛と呼びますか?しかもこのすぐあとのシーンで、他でもない明日香の口から「(柊くんは)めっちゃ猫好き」と答え合わせされるんですよね……これを愛と呼ばずして何を愛と呼びますか!?!?

 

 

 東京観光から帰ってきた明日香は、その足で柊くんの元に向かい、そして柊くんに告白します。

柊くんのことが好きだ。すっげー好き

だから、猫でもいいよ、猫でも犬でも、サルでもキジでもいいよ。俺をそばに置いてよ

「何で、桃太郎…?」

「そうじゃなくて!俺は柊くんのことが、大大大好きだって言ってんだよ!」

 

ほんっとうにバカだね、明日香は

「わかった。明日香の好きにしていいよ

 

 柊くんは「ほんっとうにバカだね」とワンクッションを入れて告白を受けとめ、「明日香の好きにしていいよ」という答えを出しています。ですがこの言葉は、明日香を拒絶しているわけではないですが、どこか突き放しているような、諦めているようなニュアンスを感じ取れます。なぜでしょうか。

 

「でもそれでいいの?」

「え?」

そばにいるだけって、それって明日香にとって無駄な時間にならない?

 

 「明日香の好きにしていいよ」は、「俺をそばに置いてよ」への応答だったことが分かります。明日香が「猫でもいい」と柊くんにとって大切な意味のある言葉を使い、「そばにいたい」と具体的に何をしたいのかを示したことで、初めて応えられる可能性が現れました。しかし柊くんが応じられるのは「明日香を自分のそばに置くこと」だけで、「好き」にも「付き合う」にも応えられません。柊くんにとってそれらは意味の分からないものであり、また恋愛伴侶規範によって意味を奪われたものでもあるからです。その上で明日香の望むものを返せないこと、そのことで明日香を苦しませてしまう可能性をわかっていて、そうしかできないことを「無駄」なのでは?と考えてしまう。でも明日香のことを否定したくはない。そんな思いが柊くんの中にあったのだと思います。

 一般的に、(恋愛的な)好意を向けられた際に「No」を伝えるとき、想定されるのは「あなたのことを(恋愛的に)好きではないから、その思いには応えられません」です。このやりとりはごく自然なものですが、それは(恋愛的な)好意を向ける側も「No」を言う側も、恋愛感情を理解し、概念を共有し、互いにその感情が備わっていることを前提として初めて成立するものです。多くの人にとって、その構造の中に組み込まれていることは当たり前のことであり、特に不自由を感じることではありません。
 一方、Aロマンティックパーソンの言う「No」とは、「そもそも【(恋愛的な)好意】という前提に応えられない」という規範の否定です。同じに見える「No」であっても、そこには構造に取り込まれることへの抵抗が存在しています。しかしそれらは同じに見えるからこそ、「好意を問う質問に対しYes/Noで答え(ようとす)ることは、そこにどんな意図があったとしても「恋愛感情がある」という前提を受け入れたと誤解されるリスクが発生してしまうのです。それはAロマパーソンが遭遇するマイクロアグレッションのひとつであり、アイデンティティの否定ですらあります。

 ではどうやって抵抗すればいいのか。その一つが、Yes/Noで応じることが求められたとき、その問いかけに応えないことで恋愛を前提にした構造を拒否するという方法です。しかしこの方法は、Alloパーソン側にとっては単なる「コミュニケーションに難がある人」としか映らない場合が多いという問題があり、よって望まない人間関係からの孤立本当は手放さなくてよかったはずの人間関係の喪失のリスクを含んでいるのです。Aスペクトラムパーソンへのステレオタイプ的見方に「感情がない」というのがありますが、これは「恋愛感情がない→感情の欠落」という安直な構図だけでなく、上記のようなマジョリティ側に有利に設定されたコミュニケーション場面において、マイノリティが答えようとするには背負わなければならないリスクが大きすぎるコミュニケーションにはそう簡単に乗れない/しかし拒否するとそれは人格全体の否定に繋がりやすいため答えないわけにもいかない...という構造の問題があることが無視されがちです。こういった問題を解決するには、マイノリティ個人の問題として背負わされてきたものを社会構造の問題として正しく扱うことが必要で、そのためにもマジョリティを巻き込み、彼らが変化していくことが必要です。

 

 

好きな人とだったら、無駄な時間なんてないよ、柊くん

 そして明日香は、湊さんという「外の人」に「柊くんと一緒にいるようになったんだけど」と、「付き合う」という言葉を(一旦は)使わずにふたりの関係を説明ます。

 

 明日香は「猫でもいいからそばに置いてよ」と、ふたりの間において「恋愛の意味ではなく、好きなもの」を意味する固有のワードを使い、柊くんが応えられないと示した恋愛の前提を放り出します。そして、「恋愛規範的な答えはできない・しないけれど、それは明日香の思いに応えられないことと同じなのではないか、思いに応えることはできない自分のそばにいるのは無駄なのでは?」という「構造の中」の立場からの葛藤(≒規範の内面化)に、「あなただから意味がある」と柊くんの存在を受容し、「その前提に応答する必要なんかない、なぜなら自分は柊くんを好きなのだから」と返します。これは、恋愛感情を持つマジョリティ側である明日香が、恋愛の前提に乗っかる必要はないと脱・恋愛規範的な態度を示し、同時にその理由に柊くんが手放さざるを得なかった「好き」を使うことで、その言葉に自分たちのための意味を持たせようとしている...と読むことができます。

 

 シーズン1におけるあす柊は、「猫」のように、関係性の意味を恋愛の文脈以外の言葉で表現することで、自分たちを非恋愛的な固有の関係性であると定義づけ、恋愛に回収されてきた「好き」の意味を取り戻そうとする言葉と(固有の)関係性の再獲得、そして恋愛感情が(わから)ない人が、恋愛規範に応じない態度を取ることを肯定されることでアイデンティティを受容される姿を描いていた...と読み解くことができると感じました。

 

 

 ひと段落!!あす柊のキモはシーズン2にあるので絶対そちらの方も見てほしいですし、そちらのクィアリーディングも絶対やりますので、引き続きよろしくお願いします!!!

 

 

〜おまけ:みなしょーポップアップの写真〜

 

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ALT:みなしょー2のポップアップ。向かって左
右側が湊さんの衣装、左側がシンの衣装

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ALT:みなしょーのポップアップ。ふたりの腕時計、リング

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ALT:みなしょーポップアップ。壁に展示されている写真の1枚。二人が海で抱きしめあっているシーン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:

gendai.media

文言の説明と具体例が記載されておりわかりやすいため何度もこの記事を引用しているのですが、この記事以外にもクィアリーディングについての文章がもっと増えればいいなと思うし、なかなか増えないということは5年前からクィアリーディングへの社会の興味関心があまり変化していないのだろうということに若干もやっとしている

*2:

elizabethbrake.com

「恋愛伴侶規範」を提唱したエリザベス・ブレイク氏のサイトです。自動翻訳で日本語でも読めるようになっているのでぜひ読んでみてください。また、これを分かりやすく解説したのがこちらのブログです

note.co

*3:特に、社会的に結婚と結び付けられやすいもの≒つまり、現在の日本における同性カップルはこの規範の外に置かれる関係となります

*4:これは、いわゆる「未婚者」に向けられる結婚へのプレッシャーという肌感覚的な不快感から、ロマンティックラブイデオロギーが求める家父長制の維持とその有害さまで、広く問題を含むものです

*5:青土社 ||現代思想:現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在