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ドラマ「みなと商事コインランドリー」の柊くんをクィアリーディングする~シーズン2・1話~7話編~

signko.hatenablog.com

 

 前回の続きです!シーズン2ではよりあす柊の関係が詳細に描かれており、あす柊Loverである私はもう圧倒的感謝ッ……です。シーズン1では「柊くんのAロマンティックな可能性を読み解く」「あす柊の関係を読み解く」を試み、

「猫」のように、関係性の意味を恋愛の文脈以外の言葉で表現することで、自分たちを非恋愛的な固有の関係性であると定義づけ、恋愛に回収されてきた「好き」の意味を取り戻そうとする言葉と(固有の)関係性の再獲得、そして恋愛感情が(わから)ない人が、恋愛規範に応じない態度を取ることを肯定されることでアイデンティティを受容される

物語である、とひとまずの終着をしました。今回はそれらを前提として、シーズン2の1~7話までをクィアリーディングしていきます。さらにふたりの関係を深堀りしていく中で、特に「『すれ違い』『嫉妬』の取り扱われ方」と「柊くんの周囲で展開される会話」に着目し、この物語があぶり出す恋愛に関する規範(の有害さ)を読み解きながら、シーズン1で読み解かれた柊くんのAロマンティック可能性がどう描かれており、明日香とどんな関係を築いていくのか、柊くんがこの物語で何を獲得していくのかを読んでいこうと思います。今シーズンは各話に少しずつ散りばめられたあす柊ふたりのやりとりを拾い上げながらの読み解きになるので、前回よりさらに文字数多めになります。

 

 シーズン2では前作以上にシンみな/あす柊が対となるキャラクター(カップリング)として描かれており、この2ペアが直面する、表面的には同じ問題とどう向き合っていくかという態度も、それぞれ違う道を辿っていきます。物語の中でシンと明日香は、「相手が好意を示してくれない・好きと言ってくれない」ことに悩んでいます。シンの悩みは、前シーズンでしつこいくらいに愛をぶつけ、一時は遠くから幸せを願うという形を取るいう方法を選ぶほどのど根性と激重執念(シンを何だと思ってる?)で湊さんへ伝え続けてきた思いが実り、「俺はお前が好きだ」と言ってもらったという過程がある(つまり「両想い」という確信を持っている状態)のに、どうして好きと言ってくれないのか?という、あくまで恋愛関係のフォーマットに則った上でのものです。
 一方の明日香は、前シーズンでは、柊くんの「重要な他者*1」という定義の提案を受け、「猫でもいいからそばに置いてよ」と望みます。「明日香の好きにしていいよ。でもそれって、明日香にとって無駄な時間にならない?」と一度は(諦めを伴った)問いかけを返されるものの、「好きな人とだったら無駄な時間なんてない」と明日香が「恋愛的な好意には同じ思いを返さなければならない」という前提を否定することで、非規範的な柊くんとの固有の関係を(再)獲得する兆しが見えたところで終わります。

 

 

 「一緒にいるようになった」ふたりですが、勉強に付き合う…というのは建前で、もっと柊くんと近づきたい明日香は「好きだよ、柊くん」と甘い空気を作ろうとするも、「集中して。」の一言で、柊くんは明日香の発するメッセージを(意図を理解しているかどうかは置いておき)一刀両断します。そのことが不満な明日香が「俺たち付き合ってるんだよね?」と問いかけると、柊くんは「うん、そういうふうに決めたでしょ?」と答えます。
 この時点で柊くんにとって付き合う」とは、社会に共有されているフォーマットをなぞれば、恋愛感情が伴わずとも成立するという認識であることが察せられます。考え方の例としてですが、恋愛の先にあるとされている結婚やパートナシップ制度の条件には恋愛感情の有無は問われておらず、民法や制度の定める年齢や他のパートナー関係を結んでいないかといった要件を満たしていれば利用できますよね。そして、制度自体には内心を変化させる機能はないため、「付き合う」関係性になったからといって、自動的に恋愛感情が生まれるというものでもありません。柊くんの「付き合う」もそんな感じで、あくまで制度や仕組みとしてのものであり、少なくともこの時点ではふたりの間にある感情に着目したものではなく、客観的に見たときに要件を満たしているからそう呼ばれるものである、という捉え方なんじゃないかなと思います。
 しかし明日香は「一般的な『付き合う』」を求めているので、「決めたとかそういうことじゃなくてさ、もっと気持ちの問題っていうか…?」と、求めている答えが返ってこないことに若干苛立ちを感じている様子を見せますが(顔に「柊くんの分からずや!」と書いててかわいすぎ)、「ほんと柊くんは柊くんだよね」と、柊くんの思いを否定したり、そんなの変だ、おかしいよと異常のレッテルを貼ったりすることはせず、受容の態度を取ります。湊さんにはそんな分からずやっぷりを愚痴りますが、それを柊くん本人にはぶつけず、「まだ一回も手をつないでいない」「いちゃついてみたい」と、あくまで明日香自身の欲望が叶わないという不満であって、柊くんの考えを変えさせようとはしていないところが誠実だなあと思いますね…

 シンはバイト先の塾で、柊くんが明日香と電話で話している姿を見かけます。しかし漏れ聞こえる会話はかなり淡々としており、思わず「英と付き合ってるんですよね?」と聞いてしまいます。

「うん、そういうことになってる」

「そういうことって......」

「連絡は頻繁に取り合ってるし、時間があるときはなるべく一緒に過ごすようにしてるよ。付き合うってそういうことじゃないの?」

「まあ、人それぞれだとは思いますけど......」

「そうだよね」

 シンも明日香と同じように「付き合うってそういうこと(フォーマットをなぞれば恋愛感情が伴わずとも成立するもの)」に納得できなさを抱きつつも、「人それぞれだとは思う」以上のことを言わず、考え込む表情を浮かべます。このふたりの態度は、「マジョリティがマイノリティに変化(それは「マジョリティ側への適応」であることが多い)を求めない」という真っ当さを描いていてとても素敵だなと思います。

 

 

 模試の結果が振るわず、デートの条件と約束していたA判定に届かなかったためデートはお預けになったふたりですが、「付き合って」おり、デートの約束を守るためにも変わらず勉強を教える柊くん。しかし明日香は勉強になんて集中できるはずもなく、柊くんを見つめ、そして不意に手を握ります。

「どうしたの?」

「見りゃわかるでしょ、手を握ってんの」

「なんで?」

「柊くんのことが、好きだから」

「ありがとう。じゃあ次、この問題もさっきの公式を使って解いてみて」

「いやそれだけ!?俺たち付き合ってるんだから、手握り返してくれても…」

「なんで?」

「なんでって…それが愛情表現だからだよ!」

「……わかった」

 すると柊くんはペンを置き、明日香の手を両手で取りそっと包み、少し目を伏せた後に明日香を見上げます。たまらず(きっと「萌」と「尊」の感情で)倒れこむ明日香に何やってんの?と冷静に問いかけ、だって柊くんがぁ...!な明日香に「自分がそばにいると明日香は自分のことばかり考えて勉強に集中できない」「それではまた明日香がしたがっているデートができなくなってしまう」「解決策として、しばらくひとりで勉強をした方がいい」と、部屋から出ていってしまいます。柊くんにとっては「付き合う」も「デート」も明日香主体の望みであり、それを叶えるための明日香にとって最善の行動を取った、明日香を思っての選択をした...と読むことができますが、それは恋愛のコードには沿わない選択だったために、明日香と多くの視聴者は「何でそうなるんだよ!!」になってしまいます。これがふたりの「すれ違い」の発端なのですが、一見「すれ違い」に見えるやり取りには、恋愛のコードを理解しているか否かという判断基準が存在しており、そして理解していない側の方が「変」と捉えられやすいという、恋愛感情を備えていることを当然・正常とする規範が社会を支配している様が描かれていると読むことができます。そういった規範が特に否定されないままAロマンティックが描かれると、恋愛や性愛のコードを理解しない(もしくは沿うことを拒否する)人々を、感情が欠落した人間とみなす偏見を助長してしまいがちになるため、注意が必要です。

 一方、手を握るのは愛情表現なのだという明日香の言葉を受け取り、手を握り返すという応答をしているのを見るに、明日香には愛情を示したいと考えていることを読み取ることができます。
 しかしそれらは、単に突拍子もない柊くんらしい行動と捉えられ、また明日香の甘やかなムードを期待しての言葉と行為にありがとうとマジレスし、言われた通り馬鹿正直に手を握り返す様を、「ほんと柊くんは柊くんだよね」のように、柊くんの「個性」としての「場違いな空気の読めなさ」「ウブなかわいさ」と描かれているように感じます。しかし、これをクィアリーディングによって【Aロマンティックパーソンが「恋愛がわからない」ためにとった行動が規範に沿わないために「変」と捉えられる】シーンと読むことで、逆説的にAロマンティシズムに関わる困難が「個性」の範囲内に矮小化されてしまうといった、Aロマンティックなアイデンティティや存在自体の漂白されやすさが炙り出されるのです。
 さらに、“柊くんに恋愛的な好意を寄せている”明日香にとって「自分の思い通りの好意を返してくれない」ように描くことで、ただ恋愛のコードに沿っていないだけで、柊くんが明日香に向けている愛情も無力化されてしまうという、Aロマンティックパーソンが直面しやすい「愛」からの疎外を描いた場面でもあります。恋愛的な気持ちの高揚で明日香が倒れこんだその拍子に、結果的にではありますが握り返した手を振り払われてしまった柊くんの姿はそういったAロマの経験を端的に表していたと思いますし、勝手に自分の傷つきを重ねて苦しくなってしまったシーンでした...

 

 しばらくひとりで頑張ってみて、と明日香と距離を置く柊くんは、ある日明日香と女の子が手をつないで歩いているところを見かけ、思わず足が止まります。ふたりがカフェに入り隣に並んで座る姿を伺っていると、さらにもうひとり男性が現れ、彼に対して明日香が隣の女の子の肩を抱きながら「俺たち、付き合うことになったから」と言うのを聞いてしまいます。柊くんは驚いたように目線を彷徨わせ、どこか憮然とした表情を浮かべると、明日香が出てくるのを待つことはせず、足早にその横を通り過ぎていきます。その場を立ち去ったものの、あの場面がどうしてもちらつく様子の柊くんのもとに、明日香からのラインが届きます。「やっぱり一緒に勉強しちゃダメ?」「好きだよ、柊くん」。

 柊くんからの返信が来ないことにもやもやした様子の明日香の前に、例の女の子が現れます。彼女の正体は(そんな仰々しい言い方しなくても…)明日香の高校生時代の同級生・瑞希。ふたりの会話から、瑞希がバイト先の先輩にしつこく言い寄られていて困っており、明日香に「恋人のフリ」をして助けてほしかった、という経緯があったことが明かされます。そんなことを知らない柊くんは、「明日香のうそつき」と一言送り、それから電話にも出られなくなってしまいます。そこに居合わせたシンにどうして?と問われると、「今は話したくない、と言うより、何を話せばいいのか分からない」、そして敬愛する建築家ガウディの名言【世の中に新しい創造などない。あるのは、ただ発見である】を引用し、「自分の中にこんな感情を発見するなんて思わなかった」そしてそれがどんなものなのかは「まだ俺にもわからない」と戸惑いを吐露します。

 この一連のシーンは、明確にそうとは言われていませんが「明日香と周囲の人間への嫉妬が芽生えたことよって、柊くんの中に眠っていた明日香への(恋愛的な)好意に気づいた」ように描かれています。恋心の気づきのきっかけが「嫉妬」であるという描写は、この作品に限らず恋愛ドラマではよくみられるフォーマットかと思いますが、しかしこのシーンをそれだけで解釈しようとするのは不十分と考えます。柊くんの中に芽生えたであろう感情を想像していくことで、クィアな人々が経験する「嫉妬」の裏に絡まり合っている、セクシュアリティに関する社会規範を考えていきます。

 

 まず最初に感じたであろう「戸惑い」。「あれは一体…?」という言葉からも想像できるように、別の人に「俺たち、付き合うことになったから」と言いながらも自分に好きだと言うことへの戸惑いは、塾の生徒の雑談から「二股」*2という表現で示されており、恋愛の文脈での裏切りに直面し、同時に理解できないものである恋愛自体への戸惑い、そして自分の中から「発見」された感情が、発見した自覚がありながら輪郭がつかめないことへの戸惑いを感じていると読み取ることができます。(そしてこの戸惑いは、「ない」ことがアイデンティティであるAセクシュアリティの、「悪魔の証明」的な自覚しづらさとも地続きのものであるとも言えます)
 次に「怒り・悲しみ」。まさに「明日香のうそつき」が表している感情です(怒りとは必ずしも激しさを伴ったものではないので、苛立ちレベルの感情であると読み取りました)。

 そして、このふたつの感情にかかわるのが異性(恋)愛規範を端に発した「不安」です。明日香と柊くんは「付き合」っており、捉え方こそ違いますが、その関係であることは互いに理解(合意)しています。一方で”柊くんが目撃した”明日香と瑞希の関係も「付き合う」であり、どちらも同じ名前の付いた関係で、言い換えるなら「三角関係」そのものだと呼べるでしょう。そうだとしても、明日香の立場からすれば自分が好きなのは柊くんだけであり、まさか瑞希とのやり取りを見られていたとも思っておらず、さらに瑞希とのやり取りは「フリ」なため、なぜ急に電話に出なくなるほど拒絶されたのか理解できません。

 

 明日香と瑞希が手をつないでいるのを見たとき、そして「俺たち付き合うことになったから」という言葉を聞いたとき、柊くんは「結局、異性(恋)愛規範には勝てない」という諦めの感情がよぎったのではないかと想像します。

※当ブログで頻出する「異性(恋)愛規範」の表現は、「異性愛規範」と「恋愛伴侶規範」とが互いに影響し合いながら社会に温存され、有害なパワーを強めている…という意味合いで使用しています。

 

 Aロマンティックは、「人間は誰もが異性愛者である」という異性愛規範と、シスヘテロのみならずクィアパーソンも内面化している場合の多い「人間は誰もが恋愛をし、その関係は中心的で排他的、かつ長期的な関係であることが正常であり、他の関係より優先して目指されるべきである」という恋愛伴侶規範によって、社会から二重に疎外されやすい存在です。なかでも恋愛伴侶規範は、Aロマンティックパーソンに限らずクィア、そして異性愛者を含めたすべての人々に対して様々な問題を引き起こしますが、私の思う、これらがAロマンティックパーソンに対して与える最も深刻な影響は、「自分の愛は無力である」という自己否定を経験しやすいことだと思っています。

 あらゆる関係性が存在する中で、恋愛関係に絶対的な価値があると設定された社会では、その関係を築かない・求めない人々は「大切な他者との関係」を獲得すること自体から遠ざけられやすくなります。「大切な他者」とは問答無用で恋愛感情の向く存在を指し、相手が異性なら「恋人」に、同性なら「友達」である(べき)と乱暴に振り分けられ、「友達以上恋人未満」という言葉によって、「友達」は「恋人」より格下の存在とされること、そんな前提が当たり前に受け入れられていること。恋人を作らなかったり恋愛や結婚をし(たく)ないと表明することで、他者に対して愛情を抱かない、欠落した人間だと見られること。*3たとえばその相手が「アイドル」であったとき、その感情は恋愛感情由来のものであるとされたり、現実的ではないものだと勝手に価値を下げられてしまうこと。「好き」を示そうとしても、その思いは「愛=恋愛」、つまり「“恋”愛以外は『(本当の/正常な/優先されるべき/特別な)愛』ではないというデフォルト化のされた社会のレンズを通して捻じ曲げられてしまうことを知っているから、大切な相手に愛を伝えることすら躊躇ってしまうこと。そうして「どうせ自分の愛は伝わらない」と幾度となく傷つきを飲み込むことによって、Aロマンティックパーソンは「自分は他者を愛することができない」と自らにスティグマを貼ったり、「大切な他者」を諦めたりしやすい状況に置かれているのです。Aロマンティックに向けられる「孤独(でかわいそう)な人」という偏見は、Aロマンティックを「恋愛感情を持たない」ために大切な他者を得ることができない…と見ることで生じるものですが、そこには異性(恋)愛規範が「大切な他者」や「好き」を諦めさせているという批判的観点が不足していると言えます。
 ただしここで注意しなければならないのは、この物語において明日香と柊くんだけを抜き出して解釈するのは解像度が荒すぎる、ということです。【柊くんに対する明日香】と読むとAro/Alloの軸が生じ明日香がマジョリティ側に立ちますが、明日香もまたクィアであり*4異性愛規範によって社会から排除されやすい存在です。ふたりの関係だけを比較するのではなく、彼らを構成する要素がある場面でどう機能しているのか、社会構造の中で彼らがどこに存在しているのかという視点を持ち、物語と現実社会の構造とを接続させて読んでいくことがこの作品の面白さであり誠実さであると思います。

 

 どうしても話がしたいとやってきた明日香に柊くんは動揺した様子を見せ、怪我を心配し手を取られると「離して」と拒絶を示します。ぎこちない態度に熱でもあるんじゃないか?と額に手を当てると、柊くんは手を外し「明日香のせいだ」「明日香がいると、集中できない」と再び頑なな態度を取ります。そんな柊くんに明日香は傷ついたようにさくま屋から立ち去ってしまいます。ここでも「すれ違い」が描かれますが、先述した通り、そこには恋愛伴侶規範がAロマンティックパーソンにもたらす様々な障壁が存在しています。そういった問題を描き出して「不幸な退出問題*5で曖昧にするのではなく、また柊くんの諦めに結び付けるのでもなく、この作品はそれらを会話によって規範の内容を見直すことで乗り越えようとしていきます。

 

 塾でシンを呼び止めた柊くんは、シンの手を取り自分の胸に持ってくると、「どう思う?」と問いかけます。ハァ!?と思わず手を引っ込めるシンに、「明日香のことを考えると胸が締め付けられる」「自分でもどうしたらいいかわからない、これって変だよね?」と、医大生のシンなら「異常」に気づくのでは?と真剣に相談します。

「いえ。俺はむしろ、湊さんといて胸が苦しくない時がないですけど」

「えっ?」

「そばにいてもいなくても、苦しいし、愛おしいし、腹も立つし、自分でも嫌になるけど、でもやっぱり、愛おしいです」

「愛おしい…」

 

でも俺は、慎太郎みたいにいつもじゃない

それは、人それぞれ違うんだと思います俺の湊さんへの思いは俺だけのものだし、柊さんの気持ちだってだってそうです。だからきっとあいつも、英も、柊さんに対して、あいつだけの思いがあるんじゃないですか?

 

 場面は変わり、柊くんは叔父である佐久間先生とご飯に行きます。佐久間先生は柊くんと明日香を子どもの頃から知っており、ふたりの関係を見守ってきた人物です。柊くんは「俺の猫だから」の話を持ち出し、「ただ、傍にいられればそれでいいって、だから俺もそう思ってた」「でも、だんだん苦しくなってきて、ただ傍にいるってことが難しい」と思いをこぼします。
 黙って聞いていた佐久間先生は微笑み、上手く言えないとしっくりこないような表情を浮かべる柊くんに、佐久間先生の目から見えていたふたりの姿を話し始めます。明日香がまだ小さい頃、柊くんの後ろをついて回っていたのがかわいらしかったこと。好奇心旺盛な明日香はよく父親に怒られて、泣きながら店に来ていたこと。そんなある日、柊くんが泣いていた明日香にキャンディーをあげたこと。その日から明日香が柊くんになつくようになり、毎日一緒にいるようになっていたこと。そして、「明日香くんに笑って欲しくてそうしているんじゃないですか?」と、それ以来常にポケットにキャンディー忍ばせていることを指摘し、そして「柊は、明日香くんのことが大好きなんですね」と語りかけます。

 

 明日香がさくま屋を出て行って以来、久しぶりに明日香の部屋でふたりは会います。そして柊くんは、明日香がカフェで女の子といるところを見かけたこと、そこで「付き合うことになった」と言っていたことは事実なのか、できればちゃんと説明してほしいと問いただします。
 「それって嫉妬してくれたってこと?」「建築のこと以外で、俺のことずっと考えてくれたってことだよね?」と気持ちが昂ったような明日香ですが、話逸らさないでと切実な柊くんの言葉に、あれは友達に恋人のフリを頼まれただけと説明します。え、それだけ?とあっけにとられた様子の柊くんの手を取り「俺が好きなのは、柊くんだけだから」「信じてくれた?」と、伝えます。その言葉に、

「信じるけど、なんか変」

今ちょっと、嬉しいって思ってる

と、淡く微笑みながら答えます。

 

 昼間に明日香から柊くんとの進展を聞いていたシンは、塾で柊くんが明日香と電話しているのを見かけ安心したように微笑みます。

「少しわかった気がする。今まで明日香が伝えてくれてた気持ちが、どういうものなのか」

「だから、これからは俺も返していければって思うよ。明日香がくれる気持ちと同じ量を返せるかはわからないけど

 

同じ量の気持ちじゃなくても、一緒にいられること自体が幸せだと俺は思います。そりゃ俺も、もっと一緒にいたいとか、今以上のものを求めてしまうこともあるけど、それでも、そうやってもがいている時間も含めて、幸せなことだと思うから」

「…そんなもの?」

「はい。そんなものです」

 

 

 異性(恋)愛規範によって自分の感情を「好き」と呼ぶことを諦めさせられてきた柊くんは、明日香に対する思いを「集中できない」や「胸が締め付けられる」と、好意の文脈で語ることはせず(できず)、精神状態の異常と認識しています。それに対しシンは、相手の存在がもたらす感情のポジティブ・ネガティブな側面どちらもあるとした上で、全てをひっくるめて「愛おしい」のだと、「異常(/正常)」なものでもなく、それらに恋愛のラベルを貼ることもなく説明します。さらに、その感情は必ずしもいつも続くものではないと「恋愛関係は長期的でなければならない」という規範をやんわり否定しながら、感情は人それぞれのもので、柊くんには柊くんの、そして明日香には明日香の、関係の当事者どうしであってもそれぞれの思いがあるのだと、「愛おしい」を個別化していきます。

 佐久間先生との会話によって、柊くんがポケットにずっと忍ばせてきたキャンディーの意図が言語化され、もしかしたら柊くんも無自覚だった明日香への思いが存在していたことが明らかになり、その思いは「大好き」と呼ばれるものだということ知ります。それによって、これまで明日香に向けてきた思いを、輪郭が曖昧であることも含めて「好き」だと肯定することができたのだと思います。
 自分に「好き」が存在することを肯定できるようになったことで、「”今まで”明日香が伝えてくれた気持ち」も「好き」であると信じられるようになり、その思いに、”これから”応えていきたいと、未来─それは非・恋愛規範的な「好き」がそのまま存在することができる未来─の可能性を見出します。そして、同じ量でなくとも「一緒にいられることが幸せ」だというシンの言葉で、同量のものを返せなくともいい、同じでなくてもいいのだと、変わらず変化を求めない誠実な態度で肯定されることで、柊くんは自分の感情としての「好き」を獲得できたのだと思います。

 柊くんは何が「嬉し」かったのか。それはきっと、過去~現在~未来にまたがり存在する明日香への思いを肯定することで、「好き」を自分の感情として獲得し、それにより「自分の愛は無力である」という諦めを克服できたことなんだと思います。思いの肯定を現在のみならず過去にまで遡及して実現させ、そして「好き」を獲得したことで見えた未来に応答したいと希望を口にできるようになったこと、そして「猫でもいいからそばに置いてよ」から…いや、それよりずっと前、ポケットにキャンディーを忍ばせるようになった頃からの思いをようやく「好き」だと思えるようになったことで、大切な相手から「好き」を向けられる喜びを、初めて感じられるようになったことは、これからの柊くんにとって本当に大切な出来事になったのだろうと思います。

 

 

 

 シーズン1では、柊くんのAロマンティシズムが明日香の受容という形で肯定される姿が描かれていました。今回取り上げたシーズン2では、一般的には恋愛に付随すると捉えられる「すれ違い」「嫉妬」が前提としている規範を読み解き、それらがAロマンティックパーソンにどう有害な影響を与え、その中でも特に深刻な「自分の愛の諦めやすさ」とはどのような過程を踏んできたことで起こっているのかを明らかにし、「諦め」とは異性(恋)愛規範による愛の自己否定の蓄積の結果であることが浮き彫りにされてきました。
 クィアリーディングによって異性(恋)愛規範が覆い隠してきたそれらの問題点を明らかにすること、そして周囲の人々がそういった規範を見直す役割を担うことで、Aロマンティックパーソンに向けられる「愛のない、欠落した人間」というスティグマからの脱却、愛の無力化を克服し、柊くんが自分のための感情としての「好き」を獲得し、自らのアイデンティティと愛を肯定する姿への変化を読み取ることができます。ようやく明日香の『好き』が柊くんに届いたことで、そして柊くんにとっては、無力だと思っていた愛を明日香の存在を通して獲得できたことで、柊くんの明日香への思いが(再)確立され、ふたりの関係の可能性が少しずつ開けていきます。

 

 

 ここで一区切り!次回は8話の温泉旅行から最終話までのあす柊を追っていきます。そちらも引き続きお願いします!!!

 

~おまけ:コインランドリーの写真たち~

 

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ALT:みなと商事コインランドリー(コインラインドリー白い家)の外観

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ALT:コインランドリー隣の管理人スペース。シンみなのポップが奥に置いてある。

 

 

 

 

 

 

*1:

現代思想Vol.49-10【恋愛】の現在(2021年、青土社」の中の『クワロマンティック宣言─「恋愛的魅力」は意味をなさない!(中村香住)*5』によると、「クワロマンティック」という性的指向の一般的定義は「自分の感じる(他者の恋愛的魅力とそうではない)魅力のちがいを区別することができない人、自分が魅力を感じているのかわからない人、恋愛的魅力や性的魅力は自分に関係ないと思う人」と紹介されているが、クワロマンティックとは「恋愛的魅力が『わからない』」という『意味間の違いではなく「『恋愛的魅力』と『恋愛の指向』が『意味をなさない』」ということに関するものだった、つまり「恋愛的魅力」という社会にあるモデル自体に積極的に抵抗するアイデンティティであると説明しています。そして、イギリスの社会学アンソニー・ギデンズの提唱した「純粋な関係性」を引用し、その関係性を築いていく相手を「重要な他者」としていく当事者実践について述べられています。

〈「重要な他者」との間で何よりも一番大事な実践は、まずその人との関係性を一から積み上げ、相手と自分の間にしかない固有の文脈を構築していくことである。それは、相手と何度もあったり話したりしているうちに、自然と積み上げられていく。とくに発話行為の積み重ねによって、相手と自分の間でのみ通じる共通言語のようなものが生まれていくそれは、世界の分析枠組みを新しく獲得することでもあると私は感じている。 ─「現代思想Vol.49-10【恋愛】の現在(2021年、青土社」より『クワロマンティック宣言─「恋愛的魅力」は意味をなさない!(中村香住)』から引用、p66〉

〈その上で、一番難しいのは、『重要な他者』たちのことを、外から見ても、私にとって大切な人たちだと認識してもらうことだ。(中略)─だが、たとえば世間一般において、「恋人」であれば、その二人の関係性においてなど詳しく知らずとも、すなわちその人にとって相当に重要な存在であることが誰の目にも明らかだしかし、重要な他者」たちの場合、それは難しい。「恋人」といったわかりやすいラベルが貼られていない相手に関しては、ほとんどの人は、「(ただの)友達」のカテゴリーに入れようとする ─同上より引用、p67〉

…つまり、いくら相手を「重要な他者」としようとしても、この社会では「恋人」とされるか「(ただの)友達」とされてしまうのです。この不幸な二者択一を迫られることが、先述した恋愛伴侶規範の大きな弊害と言えるでしょう。 その上で、氏は自身の実践についてこう説明しています。

〈そこで最近は、関係性に暫定的に名前をつけるという実践を行ってみている。(中略)─あくまでも関係性は今後も変わりうるという前提のもと、ある程度の関係性が構築されてきたらいったん名付けをしてみる。そうすることで、友情か恋愛かなどといったどうでもよい区別とは別の地平で、その人との固有の関係性を重要なものだとみなしやすく/みなしてもらいやすくなる ─同上より引用、p67〉

 

ドラマ「みなと商事コインランドリー」の柊くんをクィアリーディングする~シーズン1編~ - 光を見ている

*2:ここで示されている戸惑いや「二股」といった批判は、モノガミックな規範を前提としている場合に生じるという視点も必要です

*3:※このような言葉を浴びせられたとき、「Aロマンティックだからといって誰も愛さないわけではない、我々は愛情の欠落した人間ではない」と抵抗すると同時に、「そもそもこの社会での『愛』が異性(愛規範によって規定されているのだから、そんなものに支配された『愛』なんて我々には無価値である」という抵抗の両方を取ることが必要だと思っています。私の立場表明としての追記です

*4:今回はドラマ版を取り上げているため、ノベルやコミックの解釈をどこまで取り入れるべきはは悩んだのですが、ノベル「ひいらぐ旅路」から明日香はバイセクシュアル、もしくはパンセクシュアルの可能性を読むことができますし、またドラマだけ見ていても非異性愛者の可能性は十分読み取れますよね

*5:既存の規範を脅かすことのない範囲内で、物語に起伏をつけるためだけにマイノリティ集団が登場させられ、その集団がマイノリティとされる根拠の(有害な)社会規範は温存されたまま、あるいはその問題点は指摘されることのないまま進行し、経験する傷つきや苦しみは単に『悲哀』に矮小化され、そして中心に存在する登場人物(そのほとんどが社会的マジョリティである)の豊かな経験として吸収され、いつの間にか物語から去って行く表象」の有害さを、勝手にこう呼んでいます