光を見ている

まるっと愛でる

20230301

 いよいよツイッターが調子悪くなってきたし、これを機にブログでもテーマを決めて1本!ではない日記的な使い方をしようと思います。逆にこのブログを開始してから今までの約7年、テーマを絞った濃いいものしか書いてこなかったのがすごいなと自分で思います。気楽に書いてこ。

 

 

 人生初トニコン!!!しかもビルボ!!!トニコンに参加するチャンス自体は2019年のディナーショーがあったんだけど、そのときは翌月に関ジャニ∞のライブ高知公演に行くことが(確か)決まってて、ちょっと学生の貯蓄では無理できないな…と思って見送ったんですよね。その関ジャニのライブがコロナ禍前最後のライブになってしまい今回に至ったので、なんかやっと.....という思いでした。

 感想はもうツイッターにわーっと書いたので細かくは書かないけど(気が向いたら書くかも)、ビルボの空気感だからなのか、すごいネクジェネみたいな空気感だった。でもネクジェネより井ノ原さんがはしゃいでた。やー井ノ原さんほんとにかっこいいんだよな…LOVE SONGとかredとか、割と昔の曲と分類される曲ってロックテイストのものが多い印象なんだけど、そういう曲でオラつきながら音に乗るあの感じ、サイコーにおしゃれで爆イケで「イノッチ」しか知らない人が見たら卒倒するやつだしオタクにこういうところを見せてくれてほんとうにありがとうという気持ち。坂本さんはまじで歌が上手い。やっぱ昔の曲だとわかりやすく「メインボーカル=坂本昌行」という感じがあって、正直!ロシ担としては今の曲の方が歌割というかそれぞれの得意分野をきちんと任されてる気がしてたんだけど、Precious Loveのフェイクを生で聴いたらやっぱあんたがトニセンの歌唱の肝の人!!!になった。ホイットニーヒューストンだった。博はなんかもう、これまで見てきた長野博を再確認した感じの居かただった。この人を見てると「変わらない(ように見せる)」ことの自然さ、凄み、アイドルとしての矜持みたいなのを感じてすごいなあと思う。よくわからない人だからこそ自担になったという感覚だけど、grooveコンを経てなのか単純に時間が経ったからなのかはわからないけど、ファンになった当時よりはわかる気がする、という部分が増えてきたかもしれない。あくまで見えているところだけの話だけど、それでもアイドルの部分を知れることはすごい嬉しい。アイドル・長野博を好きになったからさ…LADY LADY LADYの振りつけで手とか腕をバシッと決めてダンスとポージングの中間みたいな感じで踊るのがすごい好きだった。

 帰りながらセトリをプレイリストにして流してたらオレキミ2番の博のパート、「今日もどこかの街できっと君も俺みたいに こんなはずじゃないって夜空を見上げて」が今の自分に刺さりすぎて泣きそうになった…オレキミ曲としてすごい好きだし、初めてみたトニコン(映像でだけど)のリード曲で繰り返し見てたから、好きになりたての頃の熱量という思い出も詰まってるんだけど、こうやって何度も歌われていくことでさらに新たな支えになってくれるのが、アイドルと共に年を取っていくということなのかなと思った…素敵な経験ね…

 

 今回、トニコン代々木第一体育館を通過してアンナ・カレーニナ→原宿の東京じゃんがらという感じだったんだけど(その合間に行ってみたかったイタリアン一人飲み→トリキ飲み、ジャにのチャンネルのトリュフパンを買いに行ったりといったことを挟んでる)、ひとり行動が苦痛じゃないタイプでよかったなと思うし、だからこそ関東に住んでみるのも手なのかな.....と思ったりした。やっぱ東北に住んでると私の趣味である観劇のハードルは高いんだよね…ハコが少ないし、チケット代と同じ、もしくはそれ以上の移動費を払って観劇することでかかるコストは結構きついし…現在地元からは出てるけど結局同じ東北地方に住んでて、何となく「何かあったときに帰れる方がいいから」と思って現在の地域で仕事を探し就職したけど、そう決めた理由の中に無意識に「長女(これは社会に割り当てられた役割としてで、私のジェンダーアイデンティティは「女」ではないよ)だから、何かあったとき家に戻れる程度のところにいた方がいい・いなきゃいけない」と思ってたところがあるのかもしれない、と気づいた。それは結婚を選ぶことは絶対にない、交友関係が合って会える友達も割と誇張なしにゼロ、でもそのことは現状苦痛ではない(それは私が家族との関係が良好で、私自身や親の経済的な安定があり、正規労働に従事できているという特権によって成り立っている面もあるんだけど)自分にとって、果たして地方にいる意味って何なんだろう?と思ってしまう。趣味を大事にしたいという思いの先には私の自己決定とか長女としてイエ制度、家父長制とどう向き合うべきかとか、都会中心主義(への批判)とかの問題、さらには地方という環境による非シス、非ヘテロパーソンにとって生きづらさもきっとあるんだろうけど、やっぱり首都圏へのアクセスが決してよくないところで今まで生まれ育っている人間として、ここからどこにいきたいか、どうしたいか、何がしたいかを考えた。実は地方(つまり私の住んでいる東北)で社会運動に携わっていた経験があって、社会と向き合うとき周辺とされる場所に存在すること、問題を見ること、声を上げることの意義は肌感覚で感じてきたつもりなので、そういうね、社会の中にいる生活者として地方に存在することの大切さを捨てるのは私にとっては惜しいことだから、どうしようかなーー......なんにせよ自分の中に選択肢が増えたことはいいことだと思うので、これから考えていきたい。

 

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 最後の博、iPhone8の画質の限界もあって写真なのになんか絵みたいな質感になってる。