光を見ている

まるっと愛でる

わたしのV6大賞2021

 なんだかんだで毎年やってるプライベート企画ことわたしのV6大賞、2021年も開幕です。自分のブログを結構読み返すタイプの人間なのですが、思春期バリバリの頃に書いた文章を読み返すのがそろそろ苦痛になってくるお年頃なので(あまりにもオタク全開すぎてイタタ...になる)(でもまあ若いときのエネルギーってあるよね‼️)最近は全然読み返すことはないのですが、このシリーズはふつうに面白くて読み返せます。自画自賛イェア。

 そんなわけで、かれこれ2017年から毎年やってる、このときのこの人(たち)のこういうところが超好きだった!!!というまとめです。マジで「わたしとV6」の記録でしかないです。では!

 

 

【個人部門】

 

あんた間違いなくV6のリーダーだよ!で賞:「50歳だからどうとかじゃないけど、V6でいるうちに50歳を迎えられたのが嬉しい」

 

 50歳のバースデー動画から、50歳を迎えてどうですか、という問いかけに対しての坂本さんの言葉です。

 STEPの特典映像の井ノ原・岡田チームの車内でも坂本さん50歳についての話が出ていましたが、最年長という年齢を弄られやすい立場で、実際これまで色々なところでネタにされてきた(あえて「ネタ」と言います)人が、「50歳になるのを楽しみにしてた」と言ったことに、途方もない強さを感じました。アイドルとして歳を重ねていくことを卑屈にならずフラットいること、V6として変わらず歌い踊り続けていくこと、この先も変わらずV6で在り続けること、そして、(50歳になっても)「アイドル」ではなく「V6」と言ったことに、明確には示されていなくとも、最年長である坂本さんのV6へのプライドや執着や意地、色々なものが込められているように感じてグッときました。

 11月1日の「またこの景色が見られるように」もそうですが、坂本さんは言ってやるぞというような気負ったものではなく、なのにと言うべきかだからこそと言うべきか、ちょっと口にするのを躊躇ってしまうようなことを平熱の温度で当たり前のように言ってしまえる強さがあるように思います。V6で唯一50歳を迎える(坂本さんしか迎えることができない)人の言う個人的な喜びは、最年長の自分がこうなのだからV6はまだ止まる気はないというようにも聞こえるし、他でもない最後の日に「またこの景色が見られるように」と締めくくりの言葉ではなく未来を示す言葉を言えるのは、やっぱりこの人しかいないし、だから坂本さんがV6のリーダーなのだと強く思わされました。

 

 尚特典の方では、井ノ原さんと岡田さんが50歳の坂本さんに対しての尊敬を話していた姿にしみじみしたあと、腹減った談義で盛り上がっている坂長が映され、「「自然体」」を見せつけてきて最高でした。

 

 

“best of idol”で賞:「STEP」での歌声

 

 私は歌唱のプロではないし、また歌の素晴らしさの尺度は技術だけではない(もちろん技術による素晴らしさもある)と思っているので、基本的に自分の好みかどうかでアイドルの歌を聴いています。

 仮にも6年聴き続けていて、その中で当然過去の作品も聴いたりしているので、なんとなくこの人はこういう歌い方をする人で、自分はこういうところが好きだな、というのが確立していましたが、それが「STEP」によっていい意味で大きく裏切られることになりました。このアルバムでの博の歌声は、言葉の意味の通り、初めて聴くような歌声でした。『雨』の「死ぬだけ〜」とか、『blue』の「High fly  in the blue×3」とか、『分からないだらけ』2番の「不完全に〜」とか、『家族』の「君は俺の命〜」とか、細かくあげると山ほどあるのですが、一番やばいと思ったのはやっぱり『家族』です。発表された当時はただただ歌詞の凄まじさに圧倒され、これを森田さんがプロデュースした意味を深く考え込んでしまい、ライブだとどうしてもパフォーマンス込みで見てしまい、そうなるとやっぱりこの曲は森田さんのインパクトが強くなってしまうと思います。でも、ある程度落ち着いてから聴くと、この曲で長野さんは森田さんと互角か、もしかしたらそれ以上の凄まじさを手に入れているのでは?と思えてなりません。一言でいうと「いくところまでいった」。人間を脱ぎ捨てたような静謐さ、地に足はついているのに俗世を見下ろしているかのような無機質さ、肉体感のない、でも確かに体温のある声。なんか、「あと一歩で心や愛を手に入れようとしている人に似せて作られたロボット」みたいな声だなと思いました。「俺たち家族」から始まる(どう考えてもV6の)私小説を、とてつもなく叙事的に語るV6・長野博。こういう曲を完全にものにして、そしてその方法は脱人間化された存在になることだなんて、まさに“idol”に辿り着いてしまったのだと、畏怖を覚え同時に畏敬の念を抱き、やっぱり私にとってのアイドルの意味はこの人なのだと思い知らされました。そして、その人が11月1日の挨拶で誰よりも涙ぐんでいる姿に、神様のような、少なくともステージの上ではそういう姿を見せ(たがら)ない人が、どれほどV6を愛しているのかを感じて泣きそうになりました。

 

 テンション変わって、V狼2021の一戦目、28:40からの疑いをかけられた一連の流れもすっごい好きでした。坂本さんが博を疑ってることを匂わせながら説明しているのに、そのことに全く気づかず真剣に聞き、そして結論が出たところでやっと坂本さんの真意に気づいたようで、絵に描いたような......えっ??の間と表情が最高にツボでした。この人のチャーミングとピュアネスが全て詰まっていて、そしてなんだかんだで毎回最後まで生き残ってるちゃっかりさ。すごい博っぽさを感じた特典でした。

 

 

相変わらず詩人の才能が局地的大爆発で賞:博に対するコメントをする井ノ原さん

 

 なんか去年も博に対する井ノ原さんのあれこれを書いた記憶があるのですが、今年もこうなりました。

 ウェブのイノなきを読む前に書籍の方のイノなきで井ノ原さんの文章に触れていたので、井ノ原さんの何気ない風景の切り取り方のうまさはそれなりに知っているつもりでしたが、今ウェブで毎日更新されているイノなき、まあ井ノ原さんの作風というか、私は勝手に「詩人の才能」と呼んでいるのですが、ほんといい文章を書く人ですよね。カノトイで「軽いんじゃなくて軽やかなつもりだけど!?」のようなセリフがあったと思うのですが、まさに井ノ原さんの文章の最大の魅力である軽やかさで綴られる世界を垣間見ることができて大好きです。

 そんな詩人の才能と、井ノ原さんのある意味狂気的なところがぶつかって爆発するところにだいたい絡んでいるのが長野博という人物で(異論は認める)。例えば井ノ原快彦、“美しい輪郭”の長野博に「おとぎ話に出てくる王子様みたい」 | マイナビニュース、ネクジェネリスナーの「(長野くんを指して)こんなにも美しい人がいるのかと衝撃を受けた」というメールに

確かに長野くんの輪郭、王子様みたいだなと思って。おとぎ話に出てくる王子様みたい

とコメントしたのとか、30年以上一緒にいる相手を「おとぎ話に出てくる王子様」と形容するセンス、その語彙、長野博に何を見出してるんだ...とこっちが衝撃を受けたわい、と思ったものです。

 でもなんといっても今年の傑作は、ananでの博への「ありがとう」でしょう。大きな人でいてくれてありがとう、に続くのが

すべては長野くんの体内で起きてるのかと思うくらい、宇宙的な広がりを感じる

ですよ。どう頑張ってもオタクがその境地にたどり着くことは不可能で、そしてその感覚をこんなふうに表すことができるのは井ノ原さんしかいないだろうし。なんというか、博担として井ノ原さんを見ることは敵わねえな、という気持ちにさせられ続けることと同義なんだよな、と思いました。それが時には快感になるし、時には嫉妬になるから面白い。誰がって井ノ原さんが。

 

 井ノ原さんの言葉に振り回されっぱなしですが、11月1日の「明るい歌歌っててよかったな」や、その日の健ラヂの「死ぬわけじゃねえから」、つい先日の健ちゃんのクリパ、それまで酷い絡み酒で会話のラリーも怪しげだったのに、電話の切り際に「健、元気なんだね?だったらいいよ」と電話越しでも伝わる温かい声色で話していたことなど、なんやかんや言おうがこの人の言葉は優しさから生まれているものだし、そういう井ノ原さんを好きでいる人生でよかったなと強く思います。

 

 

最高の「V6森田剛」の瞬間でしたで賞:11月1日の『95 groove』

 

 これしか選べないです。私は配信組でしたが、画面越しでも十分過ぎるほど伝わってくるV6森田剛という存在が忘れられません。記憶力に自信があるタイプではないですが、それでもV6の音楽に身を任せて揺れる水色のジャケットの後ろ姿がずっと脳裏に焼き付いています。V6森田剛を思い出すとき、一番最初に蘇るのがあの姿です。

 11月1日の森田さんでもう一つ印象的だったのが、最後の挨拶の話し方です。内容ももちろんなんですけど、忘れられないのがそのときの話し方で。森田さんって結構普段からぽつぽつとした語り口の人だと思うんですけど、それは齢を重ねたことで出る話し方じゃないですか。そうじゃなくて、あのときの口調が、緊張からくる辿々しさとは違う、幼い、子どもっぽい感じがして、びっくりしたんですよ。今の森田さんの話し方じゃないと感じて、なのになぜか既視感があって、なんだろうと思ったら、だいぶ前のWSで流れていたデビュー当時の話し方にそっくりだったんですよね。締めコメントに困って、後列にいる坂本さんに(仝_仝:)なんかまとめてよおぉ!!と突っかかっていた場面、あのときとそっくりで、それに気づいたときの感情ったら。過去を振り返らない人である森田剛が、まさかあの日に26年前に戻ってしまうとは。あのライブが森田さんにとっても特別なものだっただろうし、V6も同様に特別なものなのだと感じたシーンでした。

 

 

その存在に感謝しているで賞:健ちゃんへ

 

 森田さんがこれしか選べないと真っ先に決まったのに対し、最後まで決まらなかったのが健ちゃんでした。3月12日の発表があってから最初の健ラヂから今この瞬間まで、途切れることない繋がった時間と関係を生きているんだと思わせてくれているのが健ちゃんです。悲しさ、辛さを隠さず見せてくれたこと。どうにか楽しもうとしている裏でどうしようもなく悲しい気持ちがあることをわかってくれていること。悲しさをそばに置いておくことを許してくれたこと。11月2日の健ラヂで、ここからは個人としてと言いながら博と井ノ原さんの乱入を受け入れてくれたこと。当たり前にV6の曲を流してくれること。12月10日のアマプラでの配信に合わせて、これまで通りV626のアカウントから言葉をかけてくれること。岡田さんが形に残るもの、11月1日までの有限としてのV6を守ってくれていたとしたら、健ちゃんは今も続く、それぞれの心の中にいるV6の存在を変わらず追うことを許してくれる*1感じだなと思っています。きっとこの先もV6を思う心を健ちゃんに救われるでしょう。マメなインスタの更新ありがとう。いつも楽しみにしてます。健ちゃん、アインホガトリツトウモ!そして近々の話ですが、クリパちょ〜楽しかった!!!

 

 

愛のおすそ分けをありがとうで賞:カメラマン岡田准一による写真の数々

 

 アルバムからライブまで全部やってくれたり、grooveコンの最後のハートもそうですし、この1年、たくさんの写真を岡田さんからもらいましたが、私が作品として好きなのは25thアニバーサリーライブDVD通常盤のブックレットです。岡田さんの写真は「このひとのこういう表情が好きなんだろうな」が伝わってくるところが好きです。まっすぐな眼差しの坂本さん、ちゃんとレンズの先にいる岡田さんを見ていることがわかる表情の博、井ノ原さんの柔らかく笑っている顔、健ちゃんの絵画のような美しい造形が見れるライティング、森田さんに関しては、岡田さんが森田さんをよく見ていることがわかる写真で、どの写真も本当に愛情に溢れていて、それをファンにも見せてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。

 本当にたくさんの写真を見せてもらいましたが、私が1枚を選ぶとしたら、VlandのPhoto Memoryの一番上の列の左の『僕らは まだ』のときのであろう5人の写真をチョイスします。まさに岡田さんの見ている風景そのもののような、曇り空の下、5人とわんこがじゃれているシーン。岡田さんがカメラマンになると必然的に生まれてしまう5人対1人の構図に寂しさを感じることもありますが、この写真は岡田さんが見ている「お兄ちゃんたち」そのものみたいで、大切さだとか愛情だとかが写真から滲み出ていて、こんなふうに26年間5人を見てきたのだなと、岡田さんの見ている世界を見せてもらえたのが本当に嬉しかったです。

 

 

【シンメ・トニカミ部門】

 

部門:超盛り上がってる車内 by「STEP」特典映像

 

 誰よりもふたりを見てきた井ノ原さんの「あの二人が仕事の話してるのあんま聞いたことない」「芯食った話してないと思うよあんまり」がいっそう深みを増している、坂長の空気感。

 親しい友達って、「話すのが楽しくて真面目な深い話もできる、向かい合わせみたいな仲の良さ」と、「一緒に遊ぶのが楽しくてひたすらテンションが上がっていく、肩を並べた仲の良さ」の2パターンに分けられると思ってるんですけど、坂長は後者なんだなと思ったゴルフ旅でした*2。お土産選びのテキトーなノリとかそれが顕著に出てましたね。そして博の坂本さんを振り回し慣れてる感じと、そんな博に慣れてる空気を会話の端々や表情から出す坂本さん、味わい深い......延々と食レポをする博に丁寧に相槌を打つ坂本さん、コメントをちゃんと拾ってくれるから話が止まらない博。絶対坂本さんを連れ回すの楽しいんだろうなと思った車内でした。

 坂長は「生きてる牛を見たあとに牛を食った※(^▽^・)牛は見えないところで食べるから...と言ってたけど、そういう問題なのか...?)」とか、「ふたりで蕎麦を食いにいって、出来たてのもみじ饅頭も食った※(^▽^・)坂本くん甘いの苦手なのに美味い美味い言ってたという特大マウント付き(井ノ原さんは誘われずしょぼん顔...)」とか、一緒に飯に行ったエピソードは意外とあるものの、なんかふたりでプライベートで会って食事をするというの全然想像できなかったんですよ。それがこんなに喋るんだ!?ってくらい盛り上がってて、普段そこまで話すことがなくても(えむぎゃより)、当たり前に親しい仲のいい関係なんだなと思いました。

 グッときたのは、魚が食べたいとわくわくモードだったのにいざ着いたら豊洲市場が定休日!と分かったとき、結構わかりやすく計腹減ってきたわ俺ー💢」と怒っている声を上げていた場面です。マスクをしていてもわかるおこ顔とおこ声。これ、きっと坂本さんが相手だから出した甘えだと思うんですよね。何かと共通点の多いふたりですが、博は坂本さんを1歳上と認識しており、それに派生して尊敬や感謝を度々言葉にしたりするように感じているのに対し、坂本さんは博のことを違う人間だけど対等であると思っているこの認識の違い、これが垣間見えるのが坂長の面白いところであり本質だと勝手に思っています。

 あとシンプルに、朝っぱらからカレーとラーメンを食おうとしていた長野博さん(48)、どんだけ強靭な胃袋を持っているんですか?

 

(あとananの博に対する坂本さんの「ありがとう」を読んで、坂本さんは博と離れたり距離感や関係性を変えたりする気が一切なく、「これから“も”」という過去〜現在〜未来全ての時間を共にすることを当たり前のように信じているんだな...というのを浴びせられて、坂本さんにとっての長野博という存在の輪郭に触れた気がしました.................)*3

 

 

部門:ananでの互いへの「ありがとう」

 

 『分からないだらけ』で「話してほしい」と健ちゃんが剛くんに腕を伸ばしていたけど、もしかしたら健ちゃんの欲しい言葉では話していなかったのかもしれないけど、森田さんは健ちゃんの愛情をちゃんと受け止めてきてきたのだと知らされた記事でした。決して長い文章ではないけれど、あの中に剛健独特の柔らかい空気感がそのままありました。シンメって基本的に「対」という意味だと思うんですけど、健ちゃんにとって、そしてきっと森田さんにとっても互いの意味は「隣」だったんだろうなと思った「ありがとう」でした。

 ananは写真も凄かったのですが、あれは剛健というよりむしろ岡田さんの執念の表れなのでは?と思いました。剛健厨であり、誰よりも剛健を拗らせていて、誰よりも剛健を愛している岡田さんによるあの写真、凄かった。

 

 

トニセン部門:『グッドラックベイビー』

 

 起源の話として、「20th Century」はカミセンがいなければ生まれなかったんですよね。その人たちが歌うカミセンへの、別れと愛の歌だと解釈しています。grooveコンで唯一泣いた曲なんですけど、涙の理由の一つであるあの映像に、井ノ原さんが関わっていたと知り余計にたまらなくなりました。40を超えてもカミセンは子熊ちゃんで、自分たちは親の自覚があることをはっきり示されるなんて思ってもなかったじゃんね。カノトイのストーリーにどこかリンクするような歌詞で、すなわちそれはV6としての邂逅を願う曲でもあるということで。照れ屋でシャイな人たちの集まりなのに、ファンに向けて作られたはずなのに最終的にメンバーに向けた曲になった『〜此処から〜』のように、歌の中でどこまでも互いに優しく温かく愛情深くなれる、そういう曲だと思います。

 

 

カミセン部門:2/27の「RIDE ON TIME」26:01〜

 

 最近の作品にちょくちょく登場するゴールデンレトリバーちゃんこと森田さんちのわんこ。その子が寝っ転がって剛健にされるがままに構われるわんこが映った次のシーンで、ひとり健やかに眠るわんこ、ことソファで寝息を立てる岡田さんが映されたとき、なんとも言えない尊みが湧き上がってきました。特に岡田さんが写真を撮るようになってからは、必然的に自分が写ることができない場面もあるわけで、そうして出来上がった剛健ショットの間にわんこがいると、「実質カミセンじゃん!」なんて思っていたのですが、構う剛健・構われるわんこ(=岡田さん)の構図、まんまカミセンの風景じゃん......となりました。リアルタイムで見ることができなかった10代の頃の、本当に子どもだった頃のカミセンの面影を見れた気がして、今年一番かわいいシーンでした。異論は認めます。

 

 


【おまけ①】25thコン前夜祭より

 厳密には去年のなんですけど、私が発見したのが今年だったからという横暴な理由で今年のものとします。

 坂本さんが話してるのを指ハートするのに夢中で聞いてない剛健。ちょうどカミセンがまとまっていたので、3人に向けて坂本さんが話したときの一コマです。

 

(●●)「俺が喋ると向こうで3人がふざける(カミセンをまとめて指さす)」

(゚ー゚)「いや3人じゃな...今までずっと言いたかったけどふざけてんのふたりだけだから!!!」

(仝_仝:)「一緒にふざけたろお前!」

(・△・)「俺たち3人だから」

 

あまりにもカミセン。あまりにもカミセンの保護者役坂本さん。あまりにも末っ子・岡田准一

 

【おまけ②】『僕らは まだ』MVの相撲シーンの恋弾

 

V6 / 僕らは まだ - YouTube

 いやもう言葉要ります?『雨』のMVでは16歳の純粋さを42歳の人生経験を通して演じることで滲み出る凄味があったけど、16歳の表情で、26年共にいて育まれていった愛や信頼を42歳の顔に乗せたみたいなあの笑顔。『深夜高速』の

歳をとったらとるだけ 透き通る場所はどこ?

という詞を思い出しました。あの表情は愛を受け取った人にしか出せないものだったし、本当に坂本さんのこと好きなんだね...と心がギュッ...となりました。

 

【おまけ③ 】Mステでの『TL』

 

 このMステを皮切りに、V6最後の音楽番組出演ラッシュが始まったわけですが、まあどこでも「最後の」と言われるのはわかってたから、わかってたけどあんま最後最後言わないでそこデリケートだから!!!と思っていたし、どこか番組を見るのが辛い気持ちもありました。そんな中、メドレーでなんとなくあの曲やるのかな、なんて思っていたら、一曲目、まさかの『TL』。いやもう、すっっっごいびっくりした。ここでライブでしかやってない曲持ってくる!?という。かつて音楽の日で予告なく『SPARK』をやった時と似た衝撃でした。ファン以外には解散するんださみしいねくらいしか思われていないであろう中で、そういう人たちが被せてくる湿っぽさを一瞬で払っていく、3月12日に言葉にはせずとも伝えられた「解散を安易なエモさに回収させない」姿勢、最後まで歩みを止めないことを雄弁に語るパフォーマンス。しかもこの曲は、ファンにとっては25周年のライブでインストVer.をコンテンポラリーで披露されたという、作品として完成したイメージを持たれているものでもありました。それを新たに生まれ変わらせたものを「最後」の一曲目に持ってきてくれたことで、その後の音楽番組を楽しみにさせてくれた、印象的なパフォーマンスでした。

 

 

 

【V6ベストパフォーマンス2021】

 

『95 groove』

 

 これ、grooveコンのラストの曲ですが、V6としての最後の曲ではないんですよね。最後の曲が『WANDERER』なのか『鏡』なのか『クリア』なのか、ともかくあの配信で見たのが最後のV6だったのだと思います。

 でも、何よりも覚えているのがこの曲です。私にとっては10月2日の仙台公演で歌っていた『95 groove』が最高のものでした。あの曲、確かメインステージで始まって、広くて大きい花道を移動してセンターステージに移動して、またメインステージに帰ってくるという感じだったと思うのですが(記憶力に自信がないので違うかも......)。私はメインステージと花道に近い角の辺りにいたので、曲が始まってからサビを踊り終えるくらいまでは、ずっと6人の後ろ姿を見ていたんですよね。6人で一列に並んでセンステに向かって歩いていって、そして6人で歌い踊る背中を見ていました。あの花道を歩く後ろ姿が、バラバラの衣装を着て、人によってはジャケットを脱いでいたり本編と同じ衣装のままだったり、進むペースだって多少ばらつきがあって、それでも同じように歩いていって。11月1日の方ももちろんよくて、画面越しでも伝わるあの不思議な密度の空気はあの日のV6にしか出せなかったと思うし。きっといつでもあの曲は最高のV6だったのだろうけど、配信だとどうしても正面からの映像が多いじゃないですか。配信で後ろ姿ばっかりだったら正直嫌だし。だからこそ、あの光景は実際に会場に入ったからこそ見ることができたものだと思うし、あの後ろ姿を見て「これがV6なのだ」と思うことができたのは本当に幸せでした。ばらばらで、マイペースで、穏やかなグルーヴに身を任せて歩いてきたV6を、V6が歩いてきた道筋を、歩いていく背中を見ることができて、本当によかったです。私の最初で最後のV6のライブがV6 grooveでよかったし、このライブを締めくくるのがこの曲でよかったです。

 そして11月1日以降、漠然とした寂しさ、苦しさのようなものはずっとあるのにしばらく涙が出てこなくて、泣けないことが辛い時期があったのですが、なんとなくこの曲を聴いたとき、急にぐわっと寂しさに胸が覆われて、2週間ほど経ってようやく泣くことができたきっかけの曲でもあります。別れは寂しいけれど、でもその寂しさを無理に拭う必要はないし、どうしたってこの曲で思い出すのは6人の背中で。まさに私にとっての「きれいに箱にしまう」ための曲です。「V6」をリアルタイムで追うこと、特捜9の時期に新曲を楽しみにするだとか、音楽番組を見ながら悲鳴を上げるだとか、ライブレポをツイッターで読むとか、そういう営みがなくなることへの寂しさはあるし、やっぱり解散そのものへの寂しさもあるけれど、でもいい解散だったと思える、あの日の象徴であり大切な思い出であり、この曲を箱から取り出して眺めてみるのは、とても幸せなことです。

 

 

 

 

 2021年と言いつつ、個人的には2020年11月1日の配信ライブから今までの期間が本当にあっという間過ぎて、1年以上分の記憶が詰まったような、本当に濃ゆい2021年でした。個人的にはファンになってから初めてV6のライブに行くことができた、とても楽しくて幸せな年でした。寂しさはあっても、やっぱり総括としてはいい1年だったと思います。

 V6に関する文章はこれからも書くと思うし、これからも変わらずV6も6人も好きでいると思いますが、この「わたしのV6大賞」シリーズは今回で終了とすることにします。このテーマで書こうと決めてから、毎年メモに下書きを作ってネタ探しをしていたんですけど、そうやってV6をリアルタイムで見つめることができた期間は本当に楽しいものでした。ひとまず、これまでお付き合いいただきありがとうございました!!!!!!

 

 

 

 

今現在、めちゃくちゃデスデイズを待ちわびてるし、健ちゃんのクリパのアーカイブもみなきゃだし、トニセンのUNOもみなきゃだし、会報確認しなきゃだし、なんだかんだでマーダーがすぐそこだし、ふつーにやることが多くて忙しい!!!そして私はフォエプラに行けるのか?ブイのオタク、年末も愉快で楽しいね!!!

 

 

【おまけのおまけ】

 これまで書いた「わたしのV6大賞」シリーズのアーカイブ(?)置いときます、もしよかったらご覧ください。

わたしのV6大賞2020 - 光を見ている

わたしのV6大賞2019 - 光を見ている

わたしのV6大賞2018 - 光を見ている

わたしのV6大賞2017 - 光を見ている

 遡るほどイタタ...度が増しますが、17、18は高校生の頃に書いたものなので......勘弁して......なんなら根本のイタタ...の人間性はあんま変わってないから...

 

 

 

 

 

*1:もちろん岡田さんが許してくれないなんて思ってないです。WANDERERやVlandを作ってくれた人がそんなふうに思ってるなんて思えるわけがない。健ちゃんの優しさは、リアルタイムで今もV6を見せてくれている、みたいな感じだと思っています

*2:それで言うと井ノ岡は前者タイプなんだと思った

*3:坂長の何が怖いって、2000年の時点ですでに坂本さんは博に対してこのスタンスでいることなんですよね...「これからもよろしく」を20年以上続けているの、あまりにも穏やかで強靭な信頼だよなあ...となりました