光を見ている

まるっと愛でる

やっとここで会えたね/俺(たち)はきっと大丈夫だよ

自分の感情がわからない。SMAPが解散すると知ったときの呼吸の仕方を忘れてしまうような感覚も、亮ちゃんが脱退するときに感じた全身を覆うような悲しみも、嵐が活動休止すると知ったときの殴られたような衝撃も、どれも襲ってこない。悲しさ、苦しさ、悔しさ、辛さ、どれでもない、なんだか困って笑っちゃうような気持ちだ。私は涙腺が緩いので割とすぐに涙が出るのだが、FCサイトに掲載された報告を読んで、動画を見ても、一滴も涙が出てこない。それどころか「一人の男として」構文ダサいから使うなよ、とか思っている(でも「勤続25年の男たち」ってやってたからまあ文脈としてはありなのかな…とも思っている)。

 

「大切なお知らせメールが届いた」ということをツイッターで知り、手の震えと動悸が止まらなくなった。ジャニオタ歴が長くなるにつれて、「大切なお知らせ」は、少なくともオタクにとっての吉報になるケースは少ないことを知っているからだ。でも何が起こっているのか全くわからなくて、お知らせすると言ったら誰かが結婚するのか、何か病を患ったのか、までは思いついたが、不思議とV6が解散するかも、ということは浮かばなかった。ただ、このお知らせを見た後では今まで通りV6を見ることができなくなるかもしれないと何となく感じ、画像ファイルを漁り、SUPER VERY BESTの特典映像のトリック写真、健ちゃんの股の下から井ノ原さんの顔が出てるやつ(のちにその写真がイラスト化され、井ノ原さんが度々リハ着で着てるやつ)を3分くらい眺めていた。16時を過ぎて、YouTubeで『クリア』の一番だけ聴いて、FCサイトに飛び、お知らせのページを開いた。

 

 文字を読んでも中々内容が頭に入ってこず、動画を再生し、井ノ原さんの口から「解散」の言葉を聞いたときに、不思議と手の震えが止まった。そうか、そうなんだあ、と途端に内容がすっと入ってきた。湿っぽくならないようにか、井ノ原節を効かせてしゃべる井ノ原さんだけど、やっぱりどこかしんどそうだった。健ちゃんはずっと沈黙していて、ずっと辛そうで、その姿が一番こたえた。岡田さんはきちんと言葉を進め、V6をV6に取り戻すのだ、と今後の指針をはっきりと、そして優しさを以て伝えてくれた。坂本さんはいつもの穏やかで飄々とした佇まいで言葉を繋いでいった。森田さんが言葉に詰まるのを久しぶりに見た気がする。博はいつもとあまり変わらない感じで、やっぱりこの人は何を考えているのか掴めないな、と思った。

 

2,3年前、V6が終わることをとてもとても恐れていた時期があった。時間の経過とともに考えは変わっていったとは言え、あれだけ恐れていたことが現実になると知った今の私は、V6が続くことを望むか?と言われると、そうではないと感じている。

 

話し合いが始まったのが2019年春ごろ、今からおよそ2年前。その時から今という未来を考え始めていたのかあ。ファンは過去から今現在に向かう時間軸を生きているが、アイドルは抱えているけれどまだ公になっていない仕事、次のCDの発売の計画などの準備を重ね決定した上で、発表の日を迎える、未来から今現在にやってくるものだ。アイドルとファンは違う時間軸を生きて、違う角度から、同じものを見ている。そのことをひしひしと感じている。

 

 

アイドルのことを言う時、私は「ステージの上」という言葉をよく使う。このステージとは物理的なステージのこともそうだが、私というファンとアイドルを分ける絶対不可侵な領域、概念的なものも指す。ファンの言葉を受けて何かが変わることもあるだろうし、ファンの言葉によって止めたこともあるだろう。アイドルとはファンという存在があってこそ初めて成立するものだとも思う。そして、アイドルにしか、メンバーにしかわからないこともある。そこに至るまでに、6人での話し合いがあり、6人だけの時間があり、6人にしかわからないことがある。ファンが理解したくても、彼らがアイドルであり私がファンである以上お互いに侵入できない領域があり、そういう領域によって私はアイドルである彼らを好きでいられている。アイドルである前に彼らという人間が好きなのだ、という人もいるだろうし、私もそう思うことがある。しかし大前提として、私はアイドルである彼らしか知らないのだ。アイドルをしているとは同義ではない、例えば役者をしているときはアイドルではないとしても、帰る場所はV6、と言うのだ。それがある種の枷になっていたところはゼロではないのかもしれないが、だからアイドルでいることは重荷なのだ、というような単純なものでもないだろう。

ステージの上の存在である彼らの決断は未来からやって来たもので、未来の後ろには果てしない時間が流れている。そして彼らの先には、もうすでに彼らにしか見えないもの、そして彼らにも見えないものがある。生きてきた過去を全て抱え、未来まで見えてしまう、それどころか未来を決めなければいけない彼らが今日やっとファンと同じ時間軸に帰ってくることができたのだ。その決断に何か手出しをできる気がしないし、不可能なことを知っている。手を出した方が自分が傷つく気がする。受け入れらている気はしないし、正しく認識できている自信もないが、そうかあ、という思いだ。納得しているのか、悲しいのか、寂しいのか、何なのかわからないけれど、約8か月、早いんだろうなあと思うと寂しい気がする。

 

 

 

 森田さんが事務所を退所する、ということを森田さんの口から聞いて、真っ先に脳裏を過ぎったのは2020年頭に上演された舞台「FORTUNE」で、森田さんが演じたフォーチュンだ。あの舞台上の姿を思い出した、いや、あの時の映像が脳に流れ込んできたとき、なんというか、納得してしまった。舞台という最高に閉鎖的な空間で魂を爆発させる森田さんの姿を知ってしまっているので、私は引き止める言葉を持たないし持てない。舞台の上に立つ森田さんを、カーテンコールが終わりステージを去る時、ちらっと客席に顔を向けて、小さくはにかんで小さく手を振った、あの数秒だけは確かにV6だった森田さんを見ることができたのは、幸運だったなあと思う。

 

健ちゃんは今どんな思いなのだろうか。私はV6を一冊の本に例えたとき、健ちゃんは文章そのものだと勝手に思っている。優しくて鋭くて、あまのじゃくでまっすぐに誰よりもV6を愛している健ちゃんに、今のV6はどのように見えていて、6人の画はどう映っているのだろう。どんな言葉をかけたくて、かけて欲しく思っているのだろうか。それらを言えているのだろうか、もらえているのだろうか。

 

岡田さんがこんなに強い人だということをようやく知ったのはつい最近だったのだ、と思い知らされた。V6でいるときはマイペースで自由で楽しそうな末っ子の岡田准一、という認識だったから、過去のSONGSで森田さんの言葉に目を潤ませる岡田さんの姿だとか、MCで永遠に「『TAKE ME HIGHER』で骨折した長野博」のものまねをこすり続けては後始末をメンバーにぶん投げる姿だとか、番組で井ノ原さんに将来どうなりたいの?と聞かれたとき「岡田准一になりたい」って答えてたよと言われ大いに照れていた姿こそが自然なのだと思っていた。それも岡田さんにとっての当たり前なのかもしれないしそうではないのかもしれないが、動画の中で言うべきと決めていたであろうことをはっきりと語り、井ノ原さんと同じくらい話す岡田さんを見て、あ、岡田さんはV6を守ってくれる、岡田さんがいるならV6は大丈夫だと思えるわ、と安心した。

 

 

 

V6が解散してもトニセンは存続するという報を知り、ちょっとおもしろいなと思ってしまった。大体、グループがあって、その中でさらにユニットがあり、メンバー全員がどちらかのユニットに所属し、ユニットでそれぞれCDを出し、ライブも複数やっているって、ひそかに前代未聞というか。ネクジェネに関しては調べたら1996年から続いてるし。君も勤続25年かい…超長寿番組やん…

私は長野博さん担オタクなので、博が所属しているユニットが存続するということが単純に嬉しいし、終わることが悪いことのようなニュアンスになるのが嫌なのでこの書き方が最適というわけではないが、いよいよトニセンが終わりのないグループになりそうでワクワクしているところもある。何年の付き合いになっているのかを把握できないくらい長い付き合いの人たちが、まだ何かやり続けるのかと思うと、楽しみだ。かつてジャニーズSr.と呼ばれていたトニセンは、最年少である井ノ原さんが40歳になった時に20th Centuryとして『不惑』という曲を出している。若さを誇るでもなく、齢を重ねることを自嘲するでもなく、ただ年をとり、「四十にして迷わずっていうけど、実際そんなことないよね」と語り、「滞った血を滾らせたい、もう一度」と歌った。緩やかな痛みを抱えながら進む姿勢のまま、トライアングルを保ちながらこれからも歩き続けることが、素直に嬉しい。

 

 

 

 

2015年の24HTV頃からファンになってから、色々な思い出がある。未披露曲を自分たちのライブより先にJr.に先に歌われることがちょいちょいあり、ちょっとムッとした。20周年のCDのジャケ写で岡田さんが(撮影中の映画の関係で)ものすごいヒゲ面だった。小さいころ好きだったメロディーが、V6ファンになってから「HONEY BEAT」のサビだったことを知り、恐らくガコイコで流れていたのをぼんやり覚えていたことを、8年越しに気づいた。小学生の頃めちゃくちゃ大好きだったウルトラマンティガが、まさかの今の自担になり、そのことに博担になってから気づいた。博の結婚発表を、高校の修学旅行のハイライトであるUSJで知り、ミニオンの前でめちゃくちゃ叫んだ。その日ホテルのテレビで見たベスアで、「結婚」の言葉は一切出さずに、それなのにBeautiful Worldのラスサビ頃からTOKIO関ジャニ∞がわらわら集結してきて、松岡さんの音頭で胴上げをされていた。これだけ主役扱いされてるのにずっと控えめな佇まいで、「長野くん」だなあと思った。そんなことを思いながら、嬉しいんだが切ないんだか寂しいんだか悲しいんだかよくわからないごちゃごちゃした気持ちになり、でも笑顔がめちゃめちゃ輝いてるな~と思った。ONESコンのレポをツイッターで読んで、めちゃくちゃ楽しそうで、次のツアーには参加できるのかな、と楽しみにしていた。

 

V6の音楽がとても好きだ。2011年の『Sexy,Honey,Bunny!』からのにしこりコンビとのタッグを組んだ三部作で、こんな攻撃的なポップスをやっていたのか、と驚いた。『Can't Get Enough』あたりからの挑戦的な楽曲を、デビュー20年を超えたアイドルが歌い、踊りこなすのはとてもかっこよかった。『TAKE ME HIGHER』のイントロが一生かっこいい。デビュー当時からずっと踊る、バラードでも踊る、止まったら死ぬマグロ並みに踊り続け、技術も表現も進化し続けている。『SPARK』が発表され、ライブで披露され、DVDで見たときの高揚感は今も残っている。何回聴いても『愛なんだ』は名曲だ。『~此処から~』が披露されたとき、ファンに向けて詞を書くというテーマだったのが、自然と内側にベクトルが向かい、V6に向けての歌になったこの曲の「此処から」に続く言葉が「いなくならないで」だと知ったときの衝撃。

 

V6を好きになったのは2015年、そこから6年が経った。活動をリアルタイムで追えているのは1/5ほどだ。もっと早く出会いたかったと思うが、いつの間に結構な時間が経っていたんだなとも思う。当時高校生だった私は初めてジャニーズを好きになり、初めての自担の存在に不思議な幸福感に胸が覆われ、ほとんどオタク仲間がいない中、曲を聴いたりDVDを見たりして過ごしていた。一人でいることが大好きだが、その傍らにはだいたいV6がいたし、生活の中心がV6だったこと、V6に支えられて過ごした日々もある。それから数年後、自由にCDやDVDを買えるようになり、彼らが出演する舞台を見に行ったり、さらにジャニーズという文化を改めて好きになり色々な現場に行くようになった。一人で北海道に行ったり四国に行ったりするようにもなった。どれだけの好きなもの、できるようになったことのきっかけにV6はなってくれたのか。人生のだいたい1/3を共に生きているV6はあまりにも自然な存在で、その人たちが6人でいる時間に明確なタイムリミットがあることを知る日が来た。それをどう受け取るかはそれぞれで、私はまだどうしたいのかがわからない。

 

 

 

 

『Full Circle』は、「I'm gonna be arlight」と井ノ原さんが叩きつけるように、それでいてどこか諦念を含んだような、叫びのようにも悲鳴のようにも、そっと言葉を置いていくようにも聴こえる歌声で締めくくられる。直訳すると「私はきっと大丈夫」だ。V6として歌われるとき、この「I」は「俺たちV6」になる。大丈夫、の先に何があるのかを想像して少し切なくなるが、でも、大丈夫なのだ。きっとV6は大丈夫だ。