光を見ている

まるっと愛でる

26年と6年と6人と私

 V6が解散した世界を初めて生きてます。こんばんは。

 

 何よりもまず、6人がファンと会えてよかった。ファンと一緒にツアーを回ることができて、ファンと目を合わせることができて、ファンの前で最後までV6でいられて本当によかった。

 

 さすがに今回は誰か泣くだろうと思っていたけれど、最後まで涙をこぼす人はいなかった。その中でも一番涙ぐんでいたように見えたのが博で、私は博のことを全然わかっていなかったんだなと思った。全てを分かること(分かろうとすること)が善ではないけれど、特に哀の感情はあまり表に出さないし出そうとしない人だし、たぶんV6の中で最も語らない人で、この人はとてもアイドルでとてもV6だったのだと思った。

 

 『雨』で登場した時点で健ちゃんが涙ぐんでいるように見えて、これからどうなるか、大丈夫だろうか(そもそも大丈夫って何?)と案じていたけれど、曲が進みファンサゾーンに入っていくと通常モードに復活していって、三宅健のアイドルとしての矜持を見た。ふとカメラに抜かれた瞬間が会場のファンに投げチューをしているところで、この人には絶対に敵わないと改めて感じた。

 

 意外と、でもないが、一番きつそうだったのは井ノ原さんだった。いつもだったらもっと声を張ったり伸びやかに歌ったりできたであろうところが、弱くなっていたり音がふらついていたりしていて、絶対堪えてるでしょという声色で歌っていて、なのにほかの面々が『UTAO-UTAO』から『Ash to Ash』に移るところではあまりしゃべらないもんだから(割と毎回そういう感じで、あそこは井ノ原さんが仕切り役で行くようになっているんだろうなとは思うけど)ほんとあんたはV6にいなきゃならない人だよと思った。でもV5が持ち直したあとも声の震えの波があった気がした。抜群の記憶力を誇る井ノ原さんは、ライブの間何を思い出し、どんなふうに5人を見ていたのだろう。

 

 森田さんどうかこれからも踊ってくれ。そう願わずにいられないほど、今日の森田さんのダンスは素晴らしかった。ダンスが全てを語る人だし、身体が全てを語る人だということはもう重々承知だが、それにしたって今日の『95 groove』は、最新のV6森田剛のダンスにして最高傑作だった。あんなに軽やかに楽しそうに美しく踊るステージをこれからみることができるのだろうか。そういえば今日、顎を上げる、見方によっては涙がこぼれ落ちるのを堪えるようなしぐさをよく見た気がするが、あれは何か感情を抱えていたのかな。何にせよ、あの姿がV6の森田剛としての答えだったのだ。

 「明日から出る」、これ以上シンプルで本人から発せられる門出の言葉として、森田さんにぴったりな言葉があるだろうか。「いつか帰ってきて」や「待ってる」は合わない気がして言葉を探すと、「グッドラックベイビー」が一番しっくりくる気がする。これを私が言うのはおこがましいので、ただこれからの旅路がどうか幸せで美しいものでありますようにと願っている。舞台の上の姿を見る日を楽しみにしています。

 

 坂本さんの挨拶は、とてもV6のリーダーのコメントだった。ことあるごとにリーダーはあだなだと言う人で、その度にあなたが5人からどれだけリーダーとして尊敬されているか、愛されているかわかってくれよ!と肩を揺さぶりたくなっていたが、最後の最後まで変わらなかった。坂本さんは自分は引っ張っていくタイプではないというが、しかし『MADE IN JAPAN』で先頭切って花道を歩むのは坂本さんにしかできないし、みんな言わないだけであなたの背中を見て歩いてきたんだよ、と伝えたい。私はこれからカミセンにリーダー!と呼ばれるあなたの姿を見れなくなると思うととても切ないし寂しい。

 

 3月12日から本当に岡田さんに助けられてここまでこれた。V6をV6に取り戻すという言葉にどれだけ救われたことか。私は2015年からのファンだが、当時はいわゆる「岡田の反抗期」が終わってまだ日が浅いと言われていた頃で、ジャニオタ内ではてブ文化が盛り上がっていた時期からオタクになった私はテキストを読み漁り、やがてメンバーとの関係性や歴史を知っていくうちに、「末っ子オカダ」として岡田さんを見るようになった。V6現場で自由にはっちゃけてる岡田さんを見て(ONESコンレポが毎回むちゃくちゃ愉快だった)、V6では背負っていた荷物を降ろして、ただただ身軽で気楽にいられているのかなと思っていた。V6はそういう場所であってほしかったし、岡田さんにはそういてほしかった。

 だから、V6の岡田さんがV6でこれだけのものを背負えるほど強い人だということをわかっていなかった。何となく気づいたのは25周年の時だった。作品を作り上げ、それを評価されるやり方が得意だという岡田さんにとって、アイドルという「人から愛されること」が仕事の職業はどれだけ難しいものだったのだろう。その人が守り抜いた今のV6は、これまでで一番V6とファンの距離感が近い場所になっていたように思う。なんとなく25thコンのサプライズが岡田さんの中でファンの居場所というか置き場所が少し変わるきっかけになったのかな、なんて思っている。与える側・受け取る側の境界線を誰より強く感じ、そのことにプライドを持って仕事をしているであろう岡田さんが先頭に立ってファンを迎え入れてくれたことに、ものすごく深く大きな愛を感じた。

 

 

 

 

 10月2日の公演に参加していたため、今回の配信が実質2回目の参加になったわけで、セトリや演出まで大体頭に入った状態で見ることになった(といっても演出についてめちゃくちゃ忘れているところが多く、自分の記憶力のあてにならなさを痛感した)が、一番印象が変わったのは『家族』だった。最初に見たときはパフォーマンスにものすごく意味を見出して、あれは家族を再定義し6人が離れないようにするための儀式だったのだと、ぶん殴られたような衝撃を受けた。その解釈は今も大きくは変わっていないし、やっぱり6人のために家族という言葉の意味を書き換えるパフォーマンスだったと思う。でも、新たな6人のための曲なのだと思いながら、私自身がめちゃくちゃV6がV6のまま続くことに固執していたんだなと今になって思う。ここでいうV6が「アイドルグループ・V6」を指すのか、坂本長野井ノ原森田三宅岡田の6人のことを指すのか、V6という概念を指すのか、そして「続く」とはどんな状態を指すのか、今はよくわからないし、もしかしたらしばらくわからないままかもしれない。心の中で続けようとするにはあまりにも美しく丁寧に、大切にしまわれてしまったのだ。今回のライブで、「V6をきれいなまま宝箱の中にしまう」の意味がわかった。これまでは同じ時空の中にいて、自由に取り出すことも向こうから飛び込んでくることもできた。これからは自分で取りだすことしかできない。箱も自分で開けなければならない。もうV6名物・長期の枯渇&突然の過供給に悲鳴を上げることもないだろう(といいつつ正直11月中は何があるかわからない)(解散したその日に新曲を発表)(日付が変わった瞬間のラヂオ生放送に夕ドロ登場)(インスタ開設しそこにも音声で登場)(新ネクジェネに来る約束を取り付けた!?)(Vlandはいまだ諸々を把握できてない)(WANDERERの再配信お願いします)(情報多!)。

 ともかく、アイドルとファンという不思議な時空を生きている者どうしが、ある方向から見ると限りなく重なって一つの存在に見えるものたちが、その26年の旅を終えた。解散しても好きな自信はあるが、解散したグループを好きでいることは初めてで、これからどう感情が変わっていくのかは未知だが、11月1日を迎えられてよかったと思う。

 

 

 3月12日から11月1日18時まで、ずいぶん気持ちの整理をつけるのに時間がかかった。よくわからないところから始まり、猛烈に悲しくなったり、大丈夫かもと思ったり、急にさみしさに耐えきれず涙を流したり、色々あった。それがいざライブが始まってみると、気負っていたものがすっとなくなるような、純粋に楽しい気持ちがそこにあった。ライブ中に殴り書きしていたメモには「会場の音で聴くマジカペのベースブリブリで最高」と書いてある。無理にそう思おうとしたわけでもなく、自分の感情を無視したわけでもなく、思い返すととにかく楽しいライブだった。解散ライブでもあったが、今のところはgrooveコンのオーラスだったと人に言いたいライブだった。

 

 剛健の声はもともと似ていたが、特に今回の重なりっぷりはすごかった。こんなにふたりでひとつになってしまうのかと、特に『分からないだらけ』をその声で歌われてしまうともう、そんなことがあっていいのかよという感じだった。勝手に「代わる代わる愛の中での一等賞 どうやら期待してるよ」とは「終ぞ君の永遠の一番になれなかった」と読み替えることができると解釈しているのだが、やっぱりこれは健ちゃんから森田さんへのラブレターだったのだと思う。ねえ話してほしい、と剛くんに手を伸ばした健ちゃんの姿が忘れられない。

 

 「26年やってきて初めてやりたかったことをやった」と、MFTPのかがむ振付をほとんど立った状態で博に脚を回させ、目が合ったらグーサインを出されたとか、TMHのあの絡む部分で歌を放棄してまで博と井ノ原さんに挟まれて肩を組んで満足そうにしている姿とか、ボンタン狩りをここでもやるとか、いつも通り楽しそうでよかったし、26年間ずっと我慢してたのをやってみたと嬉しそうに言う岡田さんはあまりにも微笑ましかった。ハニビやWAをやるたびに楽しそうにじゃれる姿を今年も見られたのも嬉しかった。2015年のアニバコンの特典映像で、ハニビを見ながら井ノ原さんが「俺たちは楽器とかを持たないから、曲中にあんまりメンバーと絡むことがないよね」のようなことを言っていたのを思い出した。確かにV6はじゃれる余裕もないほどパフォーマンスにエネルギーや意識を注がなければいけないような曲が多くて、だからV6はV6だったし、そういうじゃれあいを26年経っても楽しそうにする人たちだからV6だった。

 

 トニセンの漫談トークに慣れ親しんでいるので、曲繋ぎのカミセントークにそわそわしてしまう。芸歴26年以上、やってきたライブは数知れずなのに、どうしてあの空気感を今まで保っているんだろう。ひとたび踊り出せば一瞬で無敵になる『High Hopes』は何回聴いてもかっこよかった。最後手を重ねて掲げ、カミセンが完結した。

 

 感覚の話だが、井ノ原さんはライブの中で目に見えて若返っていく。アイドルにかけられた魔法とでも言おうか、どんどん無垢な少年の表情になっていって、それは12歳で入所した井ノ原さんだから、幼い頃から歌い踊り続けてきた人だから、そうすることで自然とその時代まで戻ってしまうのかな、なんて思っている。

 『グッドラックベイビー』で可動ステージに腰掛けて会場を眺めている井ノ原さんが映ったとき、まさにその表情をしていて、率直に言ってぎょっとした。よりによってこの曲でその顔をするのか。この曲はトニセンによるカミセンへのはなむけだとばかり思っていたのに、井ノ原さんがそんな表情をしたんじゃ、12歳の井ノ原さんへの別れの曲にもなってしまうじゃないか。井ノ原さんにとってはV6よりトニセンの歴史の方が長く、これからもトニセンは続いていく。これまで別れの言葉を言わなかったし、続いていくのだと話した人だ。それでも、井ノ原さんにもV6という夢との別れは降りかかってくるのだと、ようやく知ってしまった瞬間だった。

 

 今となってはもう確かめるすべもないけれど、もしかしたら「ありがとう」の音声を使われたかもしれない。提出前にチェックで1回聞いた切りなので思い違いも十分あり得るが、聞き覚えのある声でその言葉が会場に流れている映像を見て、届いてしまったとショックを受けた。不思議なもので、どうにか届いてくれと願っていたのに、ああいうふうに一方的に言葉を投げてそれが届いてしまう経験を最後にしてしまって、どうしてこんなことが起こってしまったのか、という気持ちになった。対話ができないことの乱暴さを浴びた気がして、逆説的にこれまでV6の作品を受け取ってきて楽しんだことや、舞台やライブなどに行って同じ時間を過ごすことが、どれだけ双方向の愛によって成り立っていたのかを思い知ることになった。

 

 

 『HELLO』が大好きで、今回のベストアルバムで手に入れるまで音源を持っていなかったため曲を聴きたいときはアニバコンを再生する方法を取ってきた。このアニバコンが初めて買ったV6の映像作品で、動いているV6との初めての出会いがこれだった。確か2016年に発売になったはずだが、初めて見たとき、あそこで井ノ原さんが涙ぐみながら歌っていることに気づかなかった。井ノ原さんはパブリックイメージ通り「イノッチ」な人で、愉快なにぎやかしをする人だとずっと思っていて、井ノ原さんが泣くイメージを持てなかった。そもそも人が泣きそうになっているかどうかなんてちゃんと見なければわからないし、アイドルはそういうのを自然に隠すのがとても上手い人が多い。それがいつの間にか「この表情は超涙をこらえているやつだ」と気づくようになり、そしてMステスペシャルからの音楽番組で、井ノ原さんが歌うたびに涙を我慢したりしきれなくなったりしていることに結構早めに気づいた。井ノ原さんは、表現方法こそ時に奇々怪々だったり綺麗に隠したりするが、結構感情が素直に表に出ることをこの6年の間に知るようになり、これが共に過ごしてきたことの証なのかな、なんて思う。毎日とは言えない、距離感が遠くなった時期もあったけれど、それでも決定的に離れることのない時間をずっと過ごしていると、家族でも友達でもない、画面上でしか会わないような人の表情の変化に気づけるようになる。つくづくアイドルとファンは不思議な関係だと思う。

 

 6年である。V6と出会った2015年の夏から、2021年の秋の終わりまで共に在り続けた。26年のうちの6年は、26年という数字を前にすると少ない方に入るだろうけど、でも6年だぜ!?と誰に言うわけでもないが叫んでみたくなる。この6年で、高校1年生だった私は大学4年生になった。20歳を超え、ライブ後に飲酒ができるようになり、一人で東京に行けるようになり、新幹線や飛行機の予約もできるようになった。一人暮らしが板についてきて、運転免許も取得して、そして自分は将来一人で生きていきたいのだと自分自身と向き合うことができるようになった。まだ大人になったなんて言えないが、あの頃と比べてずいぶん変わった。私にとってこの6年、10代から20代に移っていった時間はあっという間で長いものだった。その時間を支えてくれて、愛させてくれたことに感謝してもしきれない。

 私は99年生まれで、事実として生まれた瞬間から2021年11月1日まで、V6が存在しない世界を経験したことがない。これから先の人生、だんだんとV6と共に歩くことのない日々の方が増えていくのだと思うと、未知の世界への怖さと愛するグループがいない世界をどうやって生きていけばいいのかわからないことへの悲しさがない交ぜになっている。井ノ原さんも言っていたが、私も自担がいる大好きなグループが解散したことないので、どうなるかわかんないんだよね。ファンになってからの6年のことは結構色々思い出せるが、それはどれだけV6が私の生活、人生に溶け込んでいたかの証左で、果たしてこれからの人生で、この6年間のような鮮やかさで日々を思い返せるようになるのかとすら思ってしまう。私は起伏が激しい状態が苦手、イベントごとも苦手、遊ぶのも苦手というような、傍から見ればつまらない日常にこそ居心地の良さを覚えるタイプである。そんな人間だから2015年からのV6の調子と相性がよく、ちょうどいい距離保ちながらここまで追いかけてこれたのだと思う。まさか最後に6人の輪の中にいれてもらえるというビッグイベントがあるなんて思いもしなかったけれど、街中だったり屋上だったり、そういう何気ない風景の中に何気なく招いてもらって、その時にこれからも私の人生は続いていくのだと気づかされた。まだ博がデビューした年齢に到達していないけれど、来年には23歳になり、いずれ26歳になり、そうやって人生が続いていくのだろう。何が起こるかわからないけれど、とりあえずの目標として26歳は迎えてみたい。26年生きてきて何が見えるようになるのか、私も知りたい。

 

 

 きっとV6は、愛と向き合い続けたグループなのだと思う。『愛なんだ』という宿命を背負ってきたグループとも言える。音楽番組に出るたびにWAか愛なんだのどちらか+新曲かめっちゃ攻めた曲(『SPARK』やった音楽の日を忘れられない)というのがパターン化されている節があり、「やっぱり(また)WAか愛なのね」→「やっぱいい曲ですね~(尊)」を恒例行事のようにやるTL、というのが私にとっての『愛なんだ』の思い出の一つにある。私もまたかよ!と思うことも何回もあったが(だってアルバム曲とかやってほしいじゃん)、でも愛なんだ超好きなんだよな~と聴くたびに思う。それまでユーロビート路線だったV6の方向転換のきっかけであり、その後20年以上歌い続けることになった愛の歌で、何回も愛とは何かを説き続けてきたけれど、24年経って新たな答えが出るとは。おそらくそれは輪廻転生、そんな恐ろしくて美しい答えが出せるのはトニセンだけだし、あの子熊はその言葉を受け取ってこれから歩いていくことを思うと、V6の言う愛を信じてみるのもいいかもしれない。涙もほほえみも輪廻転生も愛、もうなんでも愛だ。泣いたり笑ったりしたときに愛を思い出すことができる人生、なんてラッキーなんだ。

 

 『愛なんだ』だけでなく、ビリスマとかハニビのようなまっすぐで切ない歌を嘘なく歌い続けて来れたのは奇跡のようなことだなと思う。坂本さんは50歳になってこの曲を笑顔で歌う未来を想像していただろうか。森田さんは40歳を超えてもハニビで笑って、と笑顔で踊る未来を想像していただろうか。年を重ねることで楽曲の幅が広がっていった側面もある一方で、若い頃の曲、それこそビリスマや愛なんだ、CDCGのような若くて切なくて優しい曲が、今よりずっと尖っていた若い頃のV6を支えてきてくれたことは、きっとV6にとってもすごく大切なことだったのだと思う。

 

 ばらばらだからひとつになれるなんて書いたことがあったけど、あながち間違いではないというか、その在り方こそV6だったのだろう。その人たちが最後に自分たちの集合写真を家族写真だと言う。V6はまさに血の繋がりのない関係だが、今の自分たちを表すのに「V6」ではなく「家族」を使った。その意味を完全には理解できていないが、家族という言葉はV6の歴史の中で、特に岡田さんにとって意味合いが変化してきた言葉だった。V6は東京で作る家族、V6は他人、V6は他人友達家族仲間どれでもない。そういう変化を辿ってきた中で、いつからか5人のことを「幸せになってほしいお兄ちゃんたち」だと語るのを聞くようになってから、何となく岡田さんにとってのV6の意味を掴めるようになった気がした。「家族」にはそういう思いが込められているのだと思う。岡田さんは10年目の6人旅と、20年目の時の24TVで、「死ぬときに自分のことを5人が覚えていてくれたら、それだけで生きてきた価値がある」と同じメモリーから引用したであろうことを話していた。このふたつの間には10年という時間が流れており(そしてこの期間こそが「岡田の反抗期」と呼ばれた時期だと本人が振り返っていたりする)、岡田さんは10年かけてこの5人が最後まで自分を覚えている人たちなのだと確信して、そして見つけた愛を返す方法が「幸せになってほしいお兄ちゃんたち」なのだと思っている。岡田さんはエンターテイメントのために孤独の中に身を置くことをおのれに課しているが、時間をかけてV6をお互いを守る、血の繋がりの関係ない、そばにいない時も近くにある、孤独ではない居場所にしていった。V6は文字通り公/私が混じり合う場所で、公のルールによって作られる私的な関係である「家族」を、ルールを書き換えることで公の方に広がっていた場所を限りなく私に近いところに引き寄せて完結させたことが、V6をV6に取り戻す営みの一つだったのかな、なんて思う。

 

V6解散後もメンバーの関係性は不変 井ノ原快彦「僕ら死ぬわけじゃない」 - ジャニーズ : 日刊スポーツ

 なんて言ってたら、26年目も同じことを話していた。「死ぬまで覚えているであろう、メンバーの名前」。死ぬ時に自分のことを覚えているであろう5人から、自分が死ぬ時まで覚えているであろう5人の名前に変わった。『家族』で「俺たち家族 お互い守る」と最初に歌い出す岡田さんが、時間をかけてV6を守る包容力と強さを手にしてきたことが表れたインタビューだった。

 

 3月12日の動画の中で「音楽性の違いとかあるなら今のうちに言っといてくれ、11月1日まで俺たちはみんなと一緒に突っ走っていかなくちゃならない」なんて冗談めかして言っていたが、まさか11月1日に新曲を発表するなんて予想もしていなかった。そんな前例を作って去って行くアイドルを他に知らないし、今後もそうそう現れないだろう。こんなグループがたくさん現れてたまるか。私はジャニオタでもあるので、これからのグループの終わり方の理想形として語られる場面を見かけるだろうし、実際とてもいい終わりだったのでその気持ちもわかるが、V6が示したことは「自分たちの音楽を愛して、グループとメンバーを愛し抜いたからこの日を迎えられた」というごくシンプルなことだったように思う。活動中にメンバーの過半数が結婚したことを乗り越えて安定した活動ができたとか、個々の活動に力を注いでグループに還元したとか、歳を重ねてもそれに合わせて変化させてこれたとか、26年間同じメンバーで続けることができた要素のようなものはいくつか残しているし、確かに2015年以降はいい意味で安定していて、V6が6人にとっての居心地の良いホームになっていたように感じる。でもV6は思っている以上に苛烈に生きる選択をし続けた人たちで、そうじゃなきゃ『不惑』も『PINEAPPLE』も『Full Circle』歌えなかったし、50歳になっても踊り続けるなんてことをしなかっただろう。

 

 

 

 

 11月2日0時から速攻健ラヂ初の生放送が始まり、健ちゃんのインスタアカウントが創設され、まさかのラジオ生放送中にインライをし、そこに夕ドロが音声だけ乱入するというさっきまでの湿度もへったくれもないようなドタバタ劇が展開されていて、それはめちゃくちゃ見知ったV6のやつだし、「解散しても死ぬわけじゃなねえから」は本当にそうで、やっぱり人生は続いていく。終わっても死ぬわけじゃない、というのは核心を突いている話で、それを力技で体現する井ノ原さんは、きっとさみしさを抱えながら生きていくことを知っている人だ。森田さんに大好きだぜとハグしてきたと話したとき、「剛と、」と言いかけてたっぷり2秒の沈黙があった。あそこにあの人の愛情と寂しさが込められている気がしてならない。

 

 終わるときのことは終わってみないとわからないなんていう、当たり前のことを知ることになった時間だった。解散の定義を名称・行動ともに書き換えてしまった人たちにとって程遠い出来事のようで、そこにあったものがすとんと抜け落ちたような感覚もある。V6という飛行機が飛んでいった後の広大な滑走路に立ち尽くして、行ってしまった空を眺めているような気分だ。そういえば『Voyager』のMVではだだっ広い道路を6人で歩いていたし、『WALK』では「歩み続けた滑走路」と歌っていた。乗り物を使って移動するはずの果てしない場所を、歩いて行ってみようぜとマイペースに進んでいくようなグループだったと思う。同じ乗り物に乗っていなくても、それぞれの歩幅と距離感でゆらゆらと進んできた人たちだった。今は喪失感とは違う、思い出だけ残してそっと行ってしまったような、追いかけていたはずの姿は見えなくなってしまったけれどでも大丈夫なのだと思わせてくれるような、これまで味わったことのないような気持ちだ。まあこれだけの距離感で長いこと追ってきたアイドルが解散するのは初めてだから、こうなるのも当然である。最後に「ありがとうと大丈夫を君に」と歌われてしまったが、確かに思っていたよりは大丈夫な感じで生きているし、大丈夫じゃなくなっても人生は続いていくのだと言われてしまったので、寂しさとともに生きていくしかない。

 ファンになってからのことを色々思い出すことができる自分がいる。ファンになったとほぼ同時にブログを書き始め記録が残っているからというのもあるが、こんなにもこの6年のことを思い出せるのは、どれだけ人生にV6が寄り添ってくれていたかという証拠だ。初めてV6を認識してから6年、どうして好きになったかを思い出せないままここまで来てしまったけれど、V6の曲を聴くたび好きだと感じる、これが答えだと思う。2015年のベストアルバムからは毎回作品を買っていて、目に見える積み重ねと呼べるものはそれくらいしかないけれど、音楽や映像の中に思い出が数えきれないくらいある。いくらか時間が経った後、V6の曲を聴いて私は何を思い出すのだろう。チケットを見返して、客席から見上げた花道の広さと6人の後ろ姿を思い出すだろうか。代々木の文字を見るたび、V6を思い出すだろうか。そういうことを忘れる日がいつか来るだろうし、そのことに寂しさを感じなくなる日が来るかも知れない。でも、人生におけるこの6年の思い出は?と聞かれたら、どれだけ時間が経っても「V6と共に、V6が大好きな日々を過ごしていました」と答えるだろう。

 V6は2021年11月1日で解散した。V6が終わったとは思っていないし、これからも6人とV6を好きでいるが、V6の終わりを見届けることができて本当によかった。grooveという目に見えないもので繋がっている6人を最後まで愛することができて、幸せだった。

 

 

 

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