光を見ている

まるっと愛でる

20230325

 初・ヤコバから職場に直行をかましました。私は何より睡眠が必要な人間なんですけど、課金していつもより高いバスで帰ってきたら割と動けたので今後もこの方法を取ろうと思います。

 

 

港町純情オセロ〜月がとっても慕情編

 後味は悪いけど、気持ちいいくらいに爽快にぶっちぎってるせいで心地よさすらある最後のシーンを見るためにチケット代を払った感。悪い意味じゃなく、それくらいあの画が鮮烈で悲しくて愚かで、でも美しかった...欲望には抗えないな、と思いました。あまりにも良すぎて...オセロの原著って言うんですかね?シェイクスピアを知っていればもっと楽しめたんだと思う。でもミリも知らなくても楽しめた(すげー陳腐な感想だね...)。登場人物誰にも肩入れはできなくて、みんな愚かだけど、果たして自分は愚かではなくいれるか?と思うとより地獄みが増す。終演後周りで「重すぎる」「もう観たくない」の声が結構聞こえてきて、そうなるってことはいい作品なんだよね。あんなに下劣をぶっ込んでもなお破滅のしんどさが勝つという、ものすごいパワーだった。悲劇的なシーンで当たり前のようにお下劣なキャラクターがブッ込まれてて、どうしたって滑稽な画が展開されてて笑えてしまう、こういう不謹慎な笑い、引いては笑うしかできない面白さと罪悪感を引き出してるのかななんて思いました。私はその居心地の悪さ嫌いじゃない。ただその笑いがホモソーシャルを向いている感があって、ただ面白いとは思わなかった。humanではなくpersonに向けた笑いを見せてくれ。

 オセロは嫉妬に狂って愛する人の言葉を聞かなかった、アイ子は裏切られたことが許せなくて破滅をけしかけた、モナもまた自分のことしか見えていなかった。みんな愚かなんだけど、その中に差別ー被差別の立場の違い、この作品においては戦後日本における外国人差別、特に外国人に向けられたデマというものがあったんだけど、ブラジル系で黒人差別を受けてきたオセロ(初演ではオセロ役はブラックフェイスペイントをしてたみたいで、今回はそうしなかったのがきちんとアップデートされてるなと思った)、在日コリアン2世のアイ子。この二人はデマに家族を殺された経験があって、一方のモナは大卒で医者の家に生まれた「箱入り娘」で、当時の日本社会のエリートで、モナのナチュラルにオセロを見下す感じのニュアンスが感じられて上手いな〜と思ったしまんまと1幕でモナを嫌いになった...同族嫌悪的な嫌いさね...しかし、アイ子もまたオセロに対して黒人差別を向けているし、このファッ○ン家父長制社会において「男社会」という強者側にいるオセロやアイ子に対し、モナはひたすら無力なんだよね。だからこそ2幕のモナ・チエ・エミの弱い女たちの連帯がすごく良かったんだよね。男は死んだら英雄になれるけど、女が死んでも悲劇にしかならないし、女は生きてても尚懲罰を喰らうというのを見せつけられるとクソですな!!!!!!になったけど、それにしたってあの首を掻っ切ってモナの膝に倒れ込むオセロの美しさ...........になってしまう。初演ではイアーゴーは男性が演じてたようで、そこから2023年版オセロは女同士の連帯や、手を取り合っているようでその中にさらにある階級を描いてるのかなと思った。

 

 当たり前だけど、健ちゃんがV6から出た場所だとしっかり大人に見えることにちょっとまだ慣れなくてそれにびっくりする。42歳なのに...42歳!?!?

 健ちゃんの寂しさ、今の状況や本来持ってるパーソナリティとしての寂しさが根底にあるから生まれたオセロなのかなと思っちゃったよね。三宅健のオセロだった。まっすぐで運命に翻弄されるキャラクターとして描かれていたと思うけど、嫉妬に狂う姿もどこか寂しそうで、制作者が想定する以上に切ないオセロになってたな〜なんて。あと、健ちゃんの声って芯のところに寂しさがあるよなと再発見した。

 

 今回が噂のブリリアホール初だったんだけど、確かに観づれし聴こえづれえ。でも私はまだ許容範囲だったので、今後気になる作品がブリリアでやるとしたら観に行くと思う。

 

 

ミュージカル おとこたち

 PARCO劇場、イスがふかふかだし最後尾でも観やすくてℒℴ𝓋ℯ。そして初藤井隆

 これはまじで事前情報を全く入れないで観劇したんだけど、ものすごく「シス男性の人生の話」でした。シス男性の孤独を描くだけでこうも可笑しく、そして悲劇的に見えるのかと思って驚いてしまった。ラストシーンも喜劇ではないと思うので。希望ではあったのかもしれないけどね。

 4人の中で一番悲劇的に描かれていたのが鈴木で、家の外でどれだけ「家族のために」働いたとしても、家族メンバーとのコミュニケーションを蔑ろにして(しかしこれは「方法が分からなかった」というのもありそうで、それがまた地獄でね...そうさせたのは日本の「男は外で、女は家で」というあり方も大いに関係してるので)、その結末として家にも社会にも居場所がなくなり、息子(娘じゃないのが上手い)とコミュニケーションが取れなくなり、若者に殴り殺されるという。その鈴木と対比させると、宗教という居場所があった津村、不倫によって妻からの信頼がなくなり、いい記憶の中に存在していないことが明らかになったけど、でもそこにいることは許され、やがて妻の方に引っ張られることで老後新たなコミュニティに参加することができた森田、そして友だち3人に寄り添い、話を聞いてきたことで「友だち」という居場所を持ち続けることができた山田。森田の妻の商工会のバレーチームとの対比がわかりやすかったけど、あそこで描かれてた女性たちの連帯(バレー以外にも家庭の愚痴を共有する経験)を見ると、4人のおとこたちは友達ではあったけど連帯はできなかった(だから鈴木のDVを鈴木の死後の知った)わけで、おとこたちが連帯するには自分の弱さ、加害性と向き合った上で、自分の思いを話すこと、そして話を聞くことを面倒がってはいけないんだよなと思った。

 大原櫻子さんがめ〜〜〜っちゃよかった...!あのチャリンコのシーンの美しさ、そして歌声よ!!あの声を聴いたことで、ボロボロに見えたとしてもあの彼女は強く生きていくんだろうなと思わせる、すごい力強い希望溢れる歌声だった。

 おとこたちの人生を追っていく作品だから、2幕では「老い」が軸にあるのかなと思ったけど、観劇に来る層って思ってる以上に「老いた状態」が身近ではないんだなと感じた。山田が認知症っぽい言動をしたとき周囲から笑い声があがってて、それは滑稽さと切なさのために持ち込んだ場面なんだろうなと感じたけど、でも私にとってあの山田の感じ、そして職員の対応って言うたら「職場の光景」に近いわけよ。だからああわかるわかるという感じだったんだけど、それがあんなに笑いに繋がるってことは当たり前ではない→珍しい→身近ではないなんだろうなと。私だって今の仕事をしなければ高齢者がどんな感じかなんて知らなかったと思うけど、生きていく限り必ずやってくる老いについて、みんな思ってる以上に他人事なんだなと感じた空間だった。山田の感じを笑う観客の(特にシス)男性ら、まずは山田の姿を見つめるところから始めるのがあなたらのこれからの人生ではないだろうか、と思った。

 おとこたちではない私の話としては、やっぱクィアの未来ってどうすればいいんだろうな...と暗い気持ちになっちゃって全然笑えなかった...なんかそれが辛すぎて観劇中誰かに手を握って欲しい思いが湧き上がってきちゃった。ホラー作品でもないのに。特に自分はひとりでいたい人間だから、「ひとりでいる」と「頼れる人がいる」と「連帯」をどうやっていけばいいのかな...わっかんねえ...の状態で、もうどうしましょうね...オセロもおとこたちも「女の連帯」を(メインではないにしろ)描いてて、そのこと自体はすごくいいと感じたんだけど、いや私は...になってしまう。そういうのをどうにかしたり誤魔化そうとするためにこうやって作品を観て文章を書いてるのかもしれない。感じて、考えて、どうにかしようとするわやっていかなければならないのよね...

 

 

 

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