光を見ている

まるっと愛でる

さみしい/喪失感/共に

さみしい。寂しな〜寂しな〜。

いや〜さみしい。ただ、今の時点で圧倒的に情報が少なすぎて、受け入れるの前にどうして?が先行していて、わからないというのが大きいです。納得とかの段階にまだ行けないです。亮ちゃんが関ジャニ∞から去る、というか既に去っているということが全然わからなくて、ただただ悲しくてさみしい。

 

亮ちゃん。急すぎると思いました。だけど、GR8ESTが終わった頃には話が出ていたというのを知って、そっか。と思いました。たまたまおととい、GR8ESTツアーメイキングを見ました。そこで亮ちゃんは、7人で背負う関ジャニ∞の1人あたりの量と6人で背負う関ジャニ∞の1人あたりの量は、1.なんぼくらいしか変わらない、それくらい俺ら背負えるから、と話していました。そうじゃなかったんだよね、と言いたいです。だよな、ではなくそうだよね、というニュアンスです。あれだけ長い時間一緒にいた人がいなくなるんだもん、背負う重さは1.なんぼで済むわけがないし、いなくなる重さは全員同じくらい途方も無いんだよ、そのことに気づいているのかな。どう考えているかはわからないけれど、悲しかったよね、さみしかったよね、と思います。

去年の4月から、いやそれよりもずっとずっと前から、関ジャニ∞を守ってくれてありがとう。GR8ESTで笑えと叫んでくれてありがとう。5人は見慣れなさすぎて、まだ私はあなたを過去にはできないです。

大好きを言わせて欲しい。ありがとうを言わせて欲しい。そしてさよならを言わせて欲しい。今のままじゃ、去り方ではなくあまりにも一方的な終止符の打ち方だよ。お別れと消えることは全く違う。

 

 

関ジャニ∞。随分先を走っているんだね。本当にボロボロの身体で、血走った目で、前に進もうとしてファンを導いてくれるんだね。

私の体感では、休んで欲しいというヲタクの声が多くて、私も時間が欲しいと思います。生き急いでいる感じが不安になります。

でも、動き続けて止まらずに走り続けるのはらしいなと思います。これがらしさなのだということをこの1年かけて知りました。

無理しないで、と言いたいけど、無理して進むのは必ずしもファンのためだけではないんだろうな、関ジャニ∞のためでもあるのかな、と思うのは間違いではないと思います。言えないことがあるから歌うし、泣けない代わりに踊るし、頑張るために笑う人たちだから。いよいよ、関ジャニ∞にとっての関ジャニ∞が人生そのものになったのだなと思いました。

関ジャニ∞を守ってくれてありがとう。これからも守ろうとしてくれてありがとう。

 

 

全てにおいて「決まったことだから仕方がない」とは言えないです。これからどうなるかわからないけれど、やっぱり今は亮ちゃんがいなくなることが理解できないし、ツアーに突入するのも早すぎると思います。でも、あなたたちがやるならついていこうと思うし、皆の言葉を信じてきたことは間違いじゃなかったと思うのです。ここからの関ジャニ∞はこの6人といった言葉も、我々はここにいるでしょうがという言葉も、関ジャニ∞関ジャニ∞を頑張ることをするという言葉も、いまだに納得していないという言葉も、未来が明るければという言葉も、一緒にという言葉も、複雑な表情も、嘘だったことは1度もなかったと私は感じています。信じたこと通りにならないこともあるけれど、信じたことで見えたものも得たものも沢山あるから、信じることを愚かだとは決して思いません。

 

 

永遠ってなんでしょうね。アイドルに願う永遠って、ずっとその姿を見たいというのと、特にグループでやっている人たちにずっとあなたたちが笑っていてくれたら、の2つがあると思うのですが、うまくいかないものですね。人生は一度きり、人生は選択の連続、ああわからない。

 

少なくとも5人は、なるようになれば、の気持ちで次のツアーを進むのではないと思っているので。決死の思いで死にものぐるいで日本全国で闘うと思うので、一緒に駆けずり回ろうと思います。一緒に生きていきたいです。

亮ちゃんは、どうか何か言葉を聞かせて欲しい、言葉をかけさせて欲しい。関ジャニ∞は絶対に過去をなかったことにしない人たちだから、私はあなたをなかったことにできない。

お互いに喪失感を抱えながら、みんなで傷だらけになりながら、それでも一緒に生きていきたい。