光を見ている

まるっと愛でる

愛を確かな今に

 私はとても忘れっぽい人間です。

 

 特に見えていないものを探すのが苦手で、机の上に置いてある書類を(机を見ているのにもかかわらず)見つけられずめちゃくちゃ焦ったり、つい数分前まで買わなくちゃと思っていたはずのものを(そう思っていたということすら)忘れ、家に帰ってからまた買い物に繰り出したり、大学の課題の連絡が載っているサイトを開くのを忘れて出しそびれたりというのはしょっちゅうです。解決策として、重要な書類は机の前の壁に貼り付けて埋もれないようにして、何か思いついた時点でなんでもスマホのメモに書くようにしています(1/5くらいの確率で書いていても忘れる)。課題に関してはその講義の単位を落とすことなく卒業できてしまったため、どうにかなっちゃったとしか言いようがありません(半期で4回くらいやらかしたのになぜなのか...ともかく先生に感謝)。

 また興味関心の対象が極端に限定的で、興味がなかったり思いつかなかったりするもののことは本当に無知、かつ凄い勢いで忘れていきます。2年住んでいる土地のデカめの駅の存在を知らなかったり(バイト先がそこのすぐそばなのに)、学校からのお知らせから家族旅行のことまでどんどん忘れては「忘れたって言えば済むと思ってるでしょ」と怒らたり(私の言い方にも問題があったけど本当に「忘れた」でしかないのにどうすりゃいいのよと思っていた)する一方で、記憶のクセとしては視覚優位傾向らしく、印象的なことは画としてその瞬間を覚えています。小さい頃(親に確認したところ2歳の出来事だそう)家族で牧場に行って、芝生の上に白い椅子とテーブル(そういうところの飲食スペースによくあるプラスチック製のあれ)に座っていたこと、そのとき母がプレーンっぽいビジュアルのドーナツを食べていた場面、7歳の頃の担任の先生が着ていたベージュのジッパーの上着など、補正はかかっているでしょうけど、でも割とリアルな画として思い出せるシーンがいくつかあります。*1

 興味の対象外のものの代表的なものとして、写真があります。撮られるのが苦手なのはまあまあ一般的なことかと思うのですが、写真を撮る習慣がなくカメラアプリを起動させることを忘れたり思い至らなかったりというのもあり、撮ることも「苦手」という表現が合うような感覚です。数年前スマホを変える際引き継ぎがうまくいかず、中高の頃の写真が全て消えてしまいましたが、そこに悲しさはありませんでした。基本的に思い出を写真に残しておきたい欲が薄く、「まあいいか」「どうせ忘れるんだから、その流れに逆らうことをしても仕方ない」という諦念と無関心の混ざった考えにより、消えちゃったから送ってくれない?と頼むこともせずにいます。大学に入ってからはサークルにも入らず、一緒に出掛けるほどの親しい友人はほとんどできなかったため(ゼロではないが彼らは私と同様頻繁に写真を撮るタイプではない)、高校以降の私が映っている写真は免許証と証明写真のストックくらいになります。ともかく、見えていないものはすぐ忘れる、覚えていられないというのは、オタクになる前からずっとある私の特性として、思い出の残りにくい人生を生きてきました。

 写真を撮ることの関心の薄さはオタクになっても適用され、写真という媒体を用いた作品への関心の薄さにつながります。ライブ映像は買うけれど、雑誌や写真はおそらく一般的なジャニオタ(そんな型が果たして存在するのか?というのは置いておいて)と比べると関心が薄く、よって買わない方だと思います(もちろんゼロじゃないよ!?カノトイ期のPERSONは速攻買った)写真という記録より、映像という作品の方に興味があるタイプなのかもしれないです。あと基本的に文字のオタクなので、ツイッターレポのスクショとかの方が記録として重宝してます(それらは見た人の主観でしかないという前提はモラルとして忘れてはいけないと思いながら読んでます)。

 そんな人間が、ジャニオタになってからブログで文章を残し続けてきました。最初は考えていたことをわーっと書いた(若気の至りでキモくてもはや読み返せないやばいシロモノ)りテレビの感想だったりしたものが、現場の感想についての記事が少しずつ増えてきました。元々文章を書くことは好きですが、オタクになってからは、彼らのことを考え、思い出し、記録することが私にとってアイドルを愛する営みなのかもしれないと思うようになりました。

 

 

 2019年に自分の恋愛・性愛についてを知りました。そして2020年に体調とメンタルの調子を崩し、コロナのこともあってほとんど家から出られず寝込んでいた期間、一人がしんどいのに人と会うのもしんどいという苦しい矛盾、耐え難いと思っていた孤独と半年近く一人で闘い続け、結局回復するまで誰とも連絡を取らず一人で耐え切ることができて(しまって)から、それまでそういうものだと思っていた愛がどこか他人事になったような、自分から遠ざかっていったような感覚でいます。恋愛、友愛、親愛など愛にもいろいろありますが、一般的に人に対する愛とは現実の、物理的・精神的(どちらかorどちらも)近しい、相互に親密な関係を築いていくなかで生まれるものを指します。愛されたくないわけではないけれど*2、誰から愛されたいのか?反対に誰から愛されないと苦痛なのか?それらがよくわからないというか、なくなったような感覚です。私は親に大切にされてきたし愛されていると*3恵まれた環境で育ってきたと信じることができるし、私自身の次に私のことを見てきて、知っている(※「わかっている」とは微妙に違う)のは現時点では親だと思います。親は私が生まれた時から私の人生に組み込まれている存在ですが、では私が自分から愛されたいと選び取る相手はどんな存在か。あの現実の人間関係から遠ざかり一人で耐え切った期間で、その「愛されたい誰か」を求める欲求がほとんど消え去り、残っているのかもしれないものもよく見えないくらいになり、相互に築いていく(愛の前段階である)親密性というものがよくわからなくなってしまいました。

 そのことに気づいても特段ショックを受けることもなく、親密性ってよくわかんねえなと思いながらふつうに生きています。アイドルを、V6をずっと愛してきたからです。

 

 いつだって一方通行で、届いているのかもわからない。等価のものが返ってくる保証も必要もない。そんな距離感と感覚によるものこそが「愛」で、私にとって「愛」とは愛されることでも愛しあうことでもなく、愛することでした。私の人生最初の推しができたのは11歳くらいの頃らしいですが*4、その頃からずっと何かしらのオタクをしているので、10年以上誰かを一方的に愛すること、私にとっての愛をやってきていることになります。10年以上もそうだったらそれが私にとって当たり前になるということは想像していただけるでしょうか。またちょうどその頃から、今考えると自分のセクシュアリティがそうだからこうなったのだなと答え合わせできることが起こり始めており、一般的な「愛」の規範から自分の愛は外れていることに気付かされる時期でもありました。ある感情のコードに則った愛を受容する器官を持ち合わせていないこと(比喩表現です!!脳が該当するのかもしれないけど!!)*5、一方的に愛することを始めたこと。結果的にこのふたつが影響し合い、そのおかげで私は愛を諦めなくてもいい人生を今まで送ることができています。

 前回のブログにも書きましたが、この社会での「愛」とは注釈がなければ基本的に「恋愛」を指します(それくらいこの社会は恋愛至上主義に強く覆われています)。そして恋愛の先には結婚があり、その先には生殖があるというロマンティックラブイデオロギーの下で、愛には生産性が求められます。「愛」を意味する恋愛は一時的な感情であっても、それは永続性、排他的な親密性を伴う愛に変わっていかなければなりません。なぜなら愛し合い、子(めちゃくちゃ直接的かつ乱暴な言い方をすると「新たな資源」)を(再)生産しなければならないから。生産性がなければ愛に価値は付与されず、そのためには現実の人間関係の中で恋愛・結婚・生殖の3つ全てを満たすことができる相手と関係を築き、末永くともにいなければなりません。

 

 ファンの愛は、この3つの条件から遠く離れたところにいます。つまり私の愛に生産性はありません。ファンでしかないから、どれだけV6を好きだからといって、現実の関係性に干渉するようなことはできません。ライブや舞台に行ったり、作品やグッズを買ったり、テレビやラジオに感想を送ったり、手紙を書いたりして思いを届けることはできますが、それもやはり一方的なアクションであり*6、つまりこれらは社会から価値を認められないものでしかない、ということになります。

 だからと言ってこの愛は意味がないとされるものになるでしょうか?そんなわけありません。私がV6に向けてきた愛は決して愛ではないとは言いませんし、言わせません。ファンだった時間が、愛してきた時間がどれほど尊く幸せで大切なものだったか、それを知っているのは私だけでいいのです。

 

 かなり強い言葉を使って私の愛について書いてきました。これらは嘘ではないし、私の愛はこうであると、誰かに批判されたとしても揺るがないくらいには確立した感情として信じています。

 その一方通行で、これまで私が向けてきた愛は完結していたとしても、成立していたのか。何かが叶うことを望まず、ただまなざしを、思いを傾けることを愛と呼んでよかったのか。私にはこの感覚しか当てはまるものはないけれど、愛しあいたいという感覚が真っ先に肯定されるのでは。そうだとしたら少し寂しいですが、しかし私の見てきたアイドルは、V6は、確かに互いを愛しあい、愛おしみあい、尊敬しあってきていました。それらが肯定されるのは当然だし、それこそが彼らにとっての事実であり真実です。

 

 

 「岡田さんの撮ったV6の写真」として最初に出た作品は、25thライブのフォトブックだった気がします(マジで自信がないので違ったらどうか教えてください)。そしてその後もV6の写真を撮り続けていると教えてもらい、CDやDVDの写真、Vland、そして「Guys 俺たち」と、沢山の岡田さんの撮ったV6の写真を見ることができました。その写真たちを通して、もしかしたら今まで自分が関心を持ってこなかった「写真を撮ること」もまた、人を愛することなのではと気づきました。

 25thライブのとき、自分も演者であるにも関わらず配信用のカメラからフレームアウトしてまで5人の写真を撮る岡田さんを、5人は「お前を見たい人もいるんだから」と呼び戻し、いやいないでしょ、と軽く言う岡田さんを一斉に(手元に映像がないのできちんと確かめられないのですが、特に長野井ノ原三宅が)声を上げてなんて事言うんだよ、と止めていました。それを見たとき、あの呼びかけこそが愛なのだと感じ、同時にこんなに愛されていていいなと岡田さんが羨ましくなりました。それと同じくらいの愛を浴びられたらどれだけ幸せか、でも「誰から」の部分がないままそれを求めようとするのは、叶うあてのない渇望を感じ続けることと同義で、結構しんどいものです。だから、きっと岡田さんが浴びているであろう愛を想像し、その感覚を想像することで愛されている幸福を感じようとしていました。自分を重ね合わせることは「もし自分がジャニーズだったら」という妄想の延長線上にあるもので、そういう妄想が大好きなオタクである私が彼らが浴びているであろう愛を自分にインストールしようとする試みを何度も繰り返しました。しかしリアリティはないものでした。当然です、それは私の感情ではないわけですから。やっぱり私は愛することしかできないのです。

 

 岡田さんの撮った写真ときちんと向き合うと、そこに写っていなくても、果てしないほどの岡田さんの愛情を感じました。5人に、V6にどんな思いを向けているのか、言葉で説明されなくても、不思議とそれがどういうものなのか伝わってくるのです。「大人の顔」をしている坂本さんは、岡田さんに撮っての第一印象が今も続いているのかな。カメラを向けられるのにしばらく慣れなかったと話していた※(゚ー゚)ほとんど鼻が膨らんでて使えない!と25thのドキュメンタリーかROTでぷんすかしてた記憶がある)博は、ふざけたテンションで絡んだと思ったら写真家モードになった岡田さんについていけなくてそうなったのかな。たとえ目線が合わなくても、少し離れたところにいても、横顔から岡田さんに取られていることに気づいている井ノ原さんを撮っている岡田さんは、そのことに気づいているのかな。気づいているかな。健ちゃんを撮っている森田さんと、森田さんを見ている健ちゃんを収めた写真は、岡田さんだけが呼ぶ言い方「ごうくんけんくん*7」そのもので、誰よりもふたりを見てきた人にしか撮れない距離感のものでした。6人の写真も、「いつもの調子で行こうぜ」というような解けた、でもどことなく心理的に近い空気感で、6人分の、V6のためだけの空間がそこにありました。

 

 自分のことはそっちのけで5人を、V6を撮り続けていたように見えた岡田さんの写真たちは、ただ記録していたのではなく、その瞬間に深い愛を写し、残していくものでした。写真を撮る岡田さんの気持ちがようやくわかり、そして今この瞬間愛したことは、きちんと愛として残るのだということにやっと気付きました。たとえファインダー越しに目が合わなくても、相手を愛しているから撮れる写真がありました。岡田さんの写真はどれも「愛することも確かに愛である」と語っていました。それらを見て、私は私にとっての愛をようやく本当の意味で肯定し、信じることができるようになったのだと思います。それはアイドルオタクであることの肯定であり、大切なことでも忘れてしまうどうしようもなさの肯定であり、愛することしかわからないことの戸惑いや諦めの肯定であり、そしてこれまでの人生の肯定でした。時間の感覚も、人との距離感も、感じ方も、少しずつ狂っていることでわからないことや居心地の悪いこと、諦めてきたことを、悲しむ必要も無理に変えようとする必要もなく、そのままにいていいのだと、私の愛もまた確かに愛なのだと教えてもらいました。 

 

 全ての情報を網羅したいタイプではなく、またそうすることができなかったため興味があることしか見えておらず、思い出はいつも瞬間的で断片的です。私の人生に継続性や永続性はなく、その瞬間だけにしか注意を払うことができませんでした。26年もV6を続けてきた6人と対極にあるような人間です。愛していることすら忘れてしまう、頭の中からV6が抜けてしまう日、突然思い出し急に好きが湧き上がってくる日を繰り返し、冷たい、飽きっぽいファンだなと自分が嫌になることもありました。だからと言って感情をコントロールすることも覚えていようとすることなんてできず、仕方ないと思うしかありませんでした。そう諦めるしかないことが苦しかった。

 

 「愛すること」こそが愛である私には、愛することを許してくれる人が何より必要でした。愛されたいと思わなくても、愛しあいたい相手がいなくてもいいけれど、愛する存在がいなければ私の人生から愛がなくなってしまい、それは想像するのも難しいくらい辛いことです。V6を好きだと感じ愛おしく思うときの幸福感、深い充足感、とめどない愛が、私の幸せのかたちでした。私はV6と出会い、彼らを愛することで私にとっての「愛」をそのままのかたちに、諦めることなく、心のままに信じることができました。

 

 

 

 ある意味、そうやって愛しあうことも教えてくれたのかもしれません。かつて届けられた愛を受け取り、返すことを許してくれたことで、今と過去が結びつく。そうして瞬間ごとに救われることを繰り返しながら、ぶつ切りの人生が重なって何かがきちんと残るのだと思えたことは、私にとって本当に大切なことです。愛させてくれて、それを肯定してくれた岡田さんとV6に、深い感謝と愛を贈ります。

 

 

*1:これ以外にも色々と典型的なことが10代半ばから目立つようになり、診断が下りているわけではないですが恐らく軽度の不注意優勢型発達障害周辺にいるんだろうなと思っています。人生においてある程度の非効率さ・不便さは許容していかないとやっていけないということで折り合いをつけています

*2:しかし尊厳を守られたいは愛されたいではないだろうし、でもそれらは明確に切り分けられるものでもないので、ここらへんはもう個人の感覚の話になる部分だと思う

*3:実際がどうというより、こう信じられることが重要なのだと思う

*4:なんとこれもこのブログに書いてあった、記録ってすごい

*5:ここでいう「ある感情」とは恋愛です。このブログでは何度か書いてきましたが、私はAロマでAセクのジャニオタです

*6:長期的に見ると資本主義のサイクルに則り財を生んでいると捉えられるかもしれないですが、そういう話ではないというのは伝わってますよね

*7:「剛くん“と”健くん」でもなく、「剛くん」「健くん」でもなく、「ごうくんけんくん」なんですよね。ちなみに井ノ原さんは坂長のことを「坂本くん長野くん」とセットで呼ぶことがあり、シンメに挟まれた末っ子だけの呼び方〜〜と悶えている