光を見ている

まるっと愛でる

その日を前に

 終わりが近づく感覚というのはなんとも言えない。最後の出演と銘打たれた番組で毎度最高を更新して、そこで歌われる曲はgrooveコンのセトリにあるものばかりで(今のところSONGSの『羽根』以外は全部grooveコンでやったやつ)、ずっと今を見せるモードでやっているんだなと感じる。クオリティや表現の方法の歩みは決して止めないという自負と覚悟でパフォーマンスに臨んでいることはファンになったときから知っていたが、11/1がもうすぐそこまで来ている今も決してその姿勢を崩さず、その上で完結に向かいながらもわかりやすいエモの文脈に乗せられることをやんわり、でも断固として拒んでいることを感じるもの、ただ今を魅せるのだといわんばかりで、その完璧なパフォーマンスに打ちのめされながらどうやって気持ちの整理をつければいいのか、ただぼんやりと広がる喪失感とどう向き合えばいいのか分からず、宙ぶらりんな悲しみを抱えながらここ最近を過ごしている。ライブでひと段落ついた気持ちでいたけれど、参加した10/2からまる1ヶ月時間はあって、この最後の1ヶ月の独特の濃度と切なさのバランスに振り回されている。

 

 そんな中でのMステは衝撃的で、メンバー全員目を潤ませながら(それも多分ファン以外には分からないような、自然に隠しているような涙ぐみかただったと思う)歌って踊っていて、その姿を見て寂しさと一歩近づくことができた。V6とファンは演者と観客という立場の違う者だが、立場が違っても見ているものは同じだし、そうであれば感じ方が重なる部分もあるだろう。きっとそういう重なりを感じることがファンなのだろうな、と思うようになった。ついこの間、なんなら3/12以降も「6人だけの物語をステージの外から観客として見るのがファン」だと思っていたが、思っていたよりも深くまで関わることを許してくれていて、ファンという存在を特別扱いしてくれているんだなと感じている。ファンはあくまでも観客だけれど、観客の側から物語に関わることも不可欠なのだと教えてくれた。丁寧に大切にV6を宝箱にしまう作業、V6をV6に取り戻す営みに、私(たちファン)も同じものを見ている仲間として招かれているように感じさせてくれている気がしている。「アイドルとファンはステージによって立場を明確に分けられた存在である」と確信するようになった。アイドルに歩み寄ろうとしても絶対に超えられない境界線があり、違う世界に生きているからこそ魅せられてきたと思っている。彼らの存在は何よりもまず彼ら自身のもので、ファンはどうしたってその行く道の先に立つことも並ぶこともできない。自分のブログを読み返すと「追いかける」という言葉がよく出てきていて、それは好きでいること、ファンでいることという意味で使われていて、自分の考えるファンとしての距離感、在り方を一言で言語化しているなと思う。でも、特にこの1ヶ月、テレビでのパフォーマンスやにこけん、ライブレポなどを見ると、11/1に向かって反対の方向からまったく同じ距離で歩いているような距離感にいるのかもしれない、と思うようになった。これはV6だからなのか、26年という時間の積み重ねがあるゆえなのか、それとも今の時期がそうさせるのかわからないけれど、似たかたちの寂しさを共有して、肩を並べてその日まで歩いているような気持ちになる。寂しいという感情でつながっている、というと説明が難しいが、11/1以降もV6を残そうとしていることを教えてくれて、解散というワードを徹底的に避けて、今を見せたいということを伝えてくれて、どうにか飲み込んで納得した上で、それでもやっぱり寂しいよね、の部分は、たぶん私もV6も同じなんじゃないかな、と思ったりしている。不思議な感じだ。この気持ちにいつ、どんな区切りがつくのかわからないけれど、無理に何かを変えようとする必要はないと思う。

 

 

 3/12の発表からずっと「自分の感情がわからない」と思ってきた。それは今自分が感じているのが、喜怒哀楽という四つのどれに当てはまるのかすらわからないくらいぼんやりしていて、何だか色々な感情がこんがらがって切り分けられない塊のような感じだったが、今になってやっと自分の抱えている感情に当てはまる言葉を見つけた。「行かないで」、だ。私はgrooveコンで『家族』のパフォーマンスを見てから、11/2からも6人の繋がりが途絶えるわけではないのだと解釈した。つい先日発表された「VーLand」、そして『wanderer 』の公開日時からも、やっぱりV6が終わるとは思えない。しかし物質としての、グループとしてのV6には区切りをつけなければならない。2年半ほど前から、誰よりもV6に向き合ってきた6人の決断によってなされたことを覆すことはできないし、今となっては、今のV6に必要なことなのだと思えるようにもなった。3/12の動画で言っていた言葉をやっと飲み下せるようになった。

 その考えを片手に持った上で、もう片方の手は必死に今日までのV6に縋りついている。26周年おめでとう、行かないで、いつもありがとう、大好き、さみしい、どうか6人でいて、V6を守ってくれてありがとう、ばらばらにならないで、明日笑ってライブができますように。坂本さん、博、井ノ原さん、剛くん、健ちゃん、岡田さんが笑顔でいられますように。V6をV6に取り戻し、きれいな宝箱にしまうことができますように。