光を見ている

まるっと愛でる

ファンクラブを更新した話

2020年3月で、私は関ジャニ∞のファンクラブに入って1年になる。2015年にV6を好きになってから今まで、長野博さんを「自担」という私の中の特別なポジションに置き、そして緩くDDをやってきた。

私にとってV6を好きである、ということは、アイドルヲタクをする上での私の姿勢を作り上げるのに大きな影響を及ぼしている。まず、年齢の問題。好きになった時点で自担は43歳、対して私は10代。リアルに父親と1歳しか歳の変わらないアイドルを好きである、ということを言うと、身近なヲタクの友人にですら「え...?(そんなに年が違うのに好きなの?)」という反応を割とされる(もちろんそうでないヲタクもいたし、インターネットではそんなことを言う人の方が少ないけど)。当時は自分のアイドルをどう好きか、と説明する言葉が少なくて、安易に「年上が好きなんだよね」と言っていた。でも今なら、というかV6、トニセン、長野博さんを好きになって、知っていくことで、段々と説明がつくようになっていった。確かにアイドルは若々しいかもしれないけれど、若さだけが絶対の価値を持つものではない。加齢とは人生を重ねている証で、人生を重ねていったからこそできるパフォーマンスもあること。デビュー前の時代に既に「ジャニーズSr.」と呼ばれ、ある意味で若さを否定されたところからスタートしたトニセンは、デビュー20年が経ち、全員が40歳になったタイミングで不惑の葛藤を描いた歌詞を、不惑の当事者としてリアルに、そしてアイドルとして肯定し歌い上げた。トニセンにとって、そしてV6にとって加齢とはマイナスの意味を持たないのだ。そんなV6は今年、最年少の岡田さんが40歳になる。

 

続いて、自分(たち)には自分(たち)のペースがあること。2011年からV6のライブは2年に1回の周期だ。そして2017年にライブが行われてから、今現在は次のライブを待っている状況だ。このペースは、確かにまあ、頻繁とは言い難いかもしれない。アイドルをしている姿を好きになったのに、その最新の姿が中々見られないのはどうなんだ。

とは、実はあまり思ったことがない。私にとっては、個々の活動が盛んなことが大きい。実際、初めて「V6メンバー」を見たのも、初めて長野さんを見たのもミュージカルだ。*1アイドルをしている姿は、確かにせめて一生で一回はこの目で見たいが、それでも今はDVDという映像作品が残っているわけだし、それを繰り返し見ることで結構満足している。何回も何回も見たものだけれど、それらは全く過去のものにはならず、いつ見ても新鮮で特別だ。

 

何より、変わらないということ。V6は6人でずっと活動し続け、今年デビュー25周年を迎える。25年間も「アイドルグループ」というつながりを保ち続けていること、そして歌い踊り続けていることは、ファンとして純粋にすごいことだと思う。昨今、他のグループに動きがある中で相対的に「V6はすごい」と言われる声に対しては絶対的評価で語れや他を落としてこちらを上げるな、と思う(オブラートに包んだ表現)が、でもやっぱり変わらないでやり続けることはとてつもないことだと思う。

 

このように、V6を通して私のヲタクスタンスが作り上げられた。そして、V6を追いかけていて楽しいことが沢山ある一方で、意識していなくとも薄らと、変わることへの恐怖を持つようになった。

人の数だけ考え方はあるものだが、少なくとも私は、今後V6が「歌って踊る」ことをしなくなった時、今と同じように好きでいられる自信がない。きっと踊らなくたったらショックを受ける。でも歌い続けてくれるのならきっと好きでいる。でも、歌うことをやめたら、私は今と同じ熱量の「好き」を保てる自信がない。

そして、私は、あくまでも私の話だが、V6から誰か1人でも、自担でもそうでなくても、誰かがいなくなったら、多分私はV6から離れると思う。

だって、これだけみんな愛おしい人たち、その関係があるものがなくなったら、それはV6の終わりを意味するじゃないか。1人が欠けたらそれは全体の崩壊につながる。そう感じてきたからこそ、他のグループがかつて経験してきた脱退の事実を知る度に、そのグループは、そしてファンはなんて強いんだろう、自分は果たしてそうあれるのか、無理だろうな、と思ってきた。

 

 

2018年4月、すばるさんの脱退の報道を受け、私の意識は突如関ジャニ∞に向けられることになる。これまでも他のグループでメンバーが脱退するという報道からその瞬間を見届けた経験もあり、何より最後のスマスマをリアタイした記憶が癒えない時期。どう考えたって関ジャニ∞を追いかける人はこれからしんどい思いをするだろうな。と、冷静に考える自分もいた。

 

しかし、何故か私のヲタクとしての感覚が「今関ジャニ∞を追いかけないと絶対に後悔する」と予感した。そして、その結果それまで関ジャニ∞をしっかり見てきた経験もない、どんな歌があるのか、どんなライブをするのか、何よりどんな人たちなのかもほとんど知らないくせに、すばるさんが脱退する7月までの3ヶ月、死ぬ気で関ジャニ∞と向き合おうと決めた。

そこから、某チューブを漁り、関ジャニ∞の出演する番組を録画し、当時の最新ライブだったJAMを買い、関ジャニ∞を知っていった。4月の時点での私の関ジャニ∞の知識は「関ジャニズム」「関ジャニ∞の元気が出るCD‼︎」だけで、関ジャニ∞に対して愉快で異常に面白い、そしてバンドもする人たち、という印象だった。

それがまあ、びっくりするくらい個々が面白かったのはそうなんですけど、あんなに柔らかい関係性があるとは知らなかった。その時点ではまだ誰が特別好き、というのはわかっていなかったが、私は基本的に「メンバーカラー紫の人は間違いない」というセオリーを持っているため、必然的に村上さんを追っていた。その時に見たクロニクルのすばるさん・村上さん・丸山さんの俵万智さんとの川柳ロケが忘れられない。村上さんのすばるさんだけにするくしゃっと笑う雰囲気、こんな関係性があって、これを作り上げるだけの積み重ねがあって、そしてこれが関ジャニ∞からなくなるのか。そう思うと、愛しさと切なさが溢れてしかたなかった。(急な篠原涼子感やめて)(この雰囲気でボケないで)(ごめん)

 

 

3ヶ月、あっという間だった。関ジャニ∞をとても好きになった。変わることが約束されている未来しか待っていないのに、辛くなる未来しか待っていないのに、どうしても関ジャニ∞を避けることが出来なかった。うまく笑えないで歌っていたがむしゃら、君行けばこそ道は開く、と毛筆の強すぎる「関ジャニ∞」に真っ赤なライトを背負ったNOROSHI、瞳の表面張力の限界のまま歌った、のちの私にとって大切な曲になるオモイダマ。7人の終わりが近づくのが本当に辛くて、でも何故か離れられなかった。

そして最後の関ジャム。ものすごく泣いた。テレビの前で、ほぼ慟哭に近い嗚咽をした。

 

喪失感を抱えたまま、6人の関ジャニ∞のツアーが始まり、ツイッターでレポを追っていた。喪失感は大きくてしんどいけれど、相変わらず、というかそれ以上に関ジャニ∞を好きだと思う気持ちは増えていく日々だった。「ここに」があまりにも眩しかった。安田さんが色々なものから解放され、強くなっていくのを知るのが本当に嬉しかった。クロニクルで6人が揃うのを見るのに段々と慣れていった。紅白の6人横一列は寂しかったけれど、それでも眩しかった。カウコンのヤンマーのキンプリポーズ(右手でPを作るやつ)が厳つすぎて笑った。村上さんと丸山さんの殴るコント(最悪なネーミングセンス)をあそこでやる度胸に感服したしシンプルに笑った。そして年が明けてGR8ESTのライブDVDが発売され、オモイダマを歌う村上さんの歌声に惚れて、私は関ジャニ∞が、そして村上さんが好きなのだと確信した。そして2019年3月、関ジャニ∞のファンクラブに入った。

 

ファンクラブに入って最初のイベントは十五祭だった。初日の北海道、まさかの当選。好きになって1年経たないうちに関ジャニ∞のライブに行くことができた。人生初のジャニーズのライブでもあった。薄らと、あれだけ好きなV6より先だったな、と思った。

ライブ、本当に楽しかった。好きな人たちが目の前にいて、歌って踊って、演奏して、笑っていて。スタンド2列目という、双眼鏡もいらないくらいの距離で見ることのできた関ジャニ∞を見て初めて、アイドルって本当に実在するんだ、生きているんだ、と実感した。それまでテレビの中で見るアイドルという存在はどうしたって画面の向こうで、だから私はアイドルを「ステージの上の人」と言ってきた。しかし、ライブで同じ空間を共有して初めて、本当に同じ世界に生きている人たちなんだ、とようやく気づいた。同じ世界に生きている目の前のアイドルは、可愛くてかっこよくて、思ってた以上に人間味が溢れていた。リフトに乗ったのを見上げた時に見た鼻筋はマジで人智を超えた美しさだったけれど、脇汗をイジられてうーっとなる横山さんは、そんな横山さんに絡みにいって、歌っていない時は曲に合わせてゆらゆら揺れている村上さんは、実際に見ると表情筋が人の3倍は動いてそうで、沢山のファンに手を振る丸山さんは、走る度にふわふわの髪が揺れて、言葉の力がより強く重くなった安田さんは、思っていたよりも小さい背中だった、咆哮するように歌声を響かせる亮ちゃんは、想像以上に歌声が甘くて体がデカかった大倉さんは、みんな人間で、生々しかった。聞いたことがある曲の中にすばるさんの声が聴こえないことで生まれる喪失感も、6人というフォーメーション、V6で見慣れた人数のはずのフォーメーションに感じる喪失感も、一瞬誰も歌わない瞬間があり、歌割が変わったからかな、全部変わったんだもんな、と感じた喪失感も確かにあった。それでも、目の前の関ジャニ∞はずっと最高だった。

 

その後、BOYやライブのレポをツイッターで見て。最終日には8人の関ジャニ∞BOYが現れ、ライブの最後スクリーンにはTo be continued の文字が現れたというレポが流れた。よかった、関ジャニ∞はやっぱりこれからも続くのか。そう思った、わずか数日後。亮ちゃんの脱退が発表された。HPの言葉を見て、また声を上げて泣いた。辛すぎて、その日ツイッターでフォローし合った方たちに話しかけて、ライン通話で2時間近く話した。私はその会話中も泣きながらで、でも話しても泣いても何をしても悲しさは消えなかった。次の日の講義が家族の縁についてで、そこで関ジャニ∞を思ってひっそりまた泣いた。そして本当にまもなく、関ジャニ∞は5人になった。

 

その報道と同時にまさかの47都道府県ツアーの発表、亮ちゃんの爆速退社&ソロ出発、47当落と、この辺りは亮ちゃんか関ジャニ∞か、と互いに勢いを譲らずに爆速で過ぎていった。47は、自名義は全滅だったものの、亮ちゃんの件で様々な感情を分かち合った方の1人と同行のやりとりをしており、その方が当ててくださったため、高知公演に参加することができた。

 


幕が上がって5つのシルエットが浮かんだ時、心臓がきゅっとなる感覚はあったけれど、それでも不思議と十五祭ほどの喪失感は感じなかった。歌って踊って笑う関ジャニ∞はかっこよくて可愛くて最高で最強だった。友よが祈りのようにもおまじないのようにも聴こえた。これが私の、関ジャニ∞を追いかけ始めてから今現在までの道のりだ。

 

 

 

私は関ジャニ∞を好きになってから、アイドルを好きであるという姿勢を表現するのに「偶像崇拝」という言葉を使うのをやめた。関ジャニ∞を知れば知るほど、彼らはあまりにも生々しくその人生を生きていることを見せつけられた気がした。偶像と呼べるほど完璧な絶対的な姿ではないこともあるし、崇拝できるほど確固たる安定がないこともある。それくらい、関ジャニ∞はいきものとして変わり続けていた。

私が関ジャニ∞を追いかけ始めたきっかけはすばるさんの脱退だった。それが始まりだとは言わないが、あの時期から私の見ている関ジャニ∞は変わり続けているように思う。それは関ジャニ∞自身もそうだし、環境もそうだ。良い悪いの軸では語れるものではないからこそ、時に悲しくて悔しくなることもある。番組、コーナー、CM、メンバー。今の関ジャニ∞にとってはこれらが変わることは、(い)なくなることと結びつく。私自身、その変化によって彼らの規模が小さくなるように見えてしまうことがないとは言い切れない。聴こえなくなったブルースハープ、ギターが2本なくなったバンド、5つのシルエット。急に寂しくなったり不安になったり、どうしてと不満に思うことも、ゼロではない。

 

V6で作られた私のヲタクスタンスのままだったら、きっと6人の関ジャニ∞を好きになっていなかっただろうし、ましてや6人の関ジャニ∞を丸々追いかけた末に5人になった関ジャニ∞を好きでいるなんて、ありえないことのはずなのだ。あれだけ変わることが苦手で怖かった私は、変わり続ける彼らを今とても大好きだ。

 

私が好きになるきっかけは7人の関ジャニ∞だったけれど、好きになった時点で6人になることが決まっていた。そして好きだとはっきり認識したのは、6人の姿だった。そして今、私は5人の関ジャニ∞を好きなヲタクとして彼らを追いかけている。

関ジャニ∞を好きになって、7人から6人、そして5人になっていく姿を、他人事ではないファンとして見てきて強く感じたのは、「関ジャニ∞は、今この瞬間がいつだって一番面白い」ということだ。目を離せないからこそしんどい時もあるけれど、それでも今この瞬間を追いかけずにはいられない。

 

 

 

 

 

ファンクラブを更新するかどうか、そして色々な場面でまた変わるものが出てきたタイミングで、どうして私は関ジャニ∞を好きなのか、と考えてみた。

 

その答えは、シンプルに関ジャニ∞が好きで、関ジャニ∞にしかできない色々なものが好きだからだ。なんでもできるアイドルの中から「私のアイドル」という存在をファンがそれぞれ見つけるのは、そのアイドルにしかできないことがあるからだ。何でもできる関ジャニ∞が、好きになったはずの姿、こうであって欲しかった姿と変わってしまっても好きなのは、「友よ」のように、関ジャニ∞にしか歌えない歌があるからだ。無茶としか思えない47都道府県ツアーを周り、「関ジャニ∞を頑張ることをする」の言葉の通り、変わっていく姿でありのままに進んでいく姿がどうしようもなく美しいからだ。

 

私は全体図を見るのが苦手だ。目の前の変化に簡単に左右されてしまうし、今6人が美しいのだから、楽しいのだからと、十五祭の裏で亮ちゃんが脱退することが決定していたなんて全く想像もしていなかった。大きな夢を見るのが苦手な私は、関ジャニ∞を支えられるファンの形になれている自信はない。

でも、関ジャニ∞がいたからこそ、関ジャニ∞を好きになったからこそ、あれだけ見たくないと思っていた、「変わった後」というものを見ることができた。

変わることにはどうしたって慣れることはできない。なくなること、別れには毎回傷ついて辛い思いを抱く。でも、変化の後を見ることができていることは、私にとって本当に幸せなことなのだ。7人の関ジャニ∞が「LIFE」を歌う姿も、6人の関ジャニ∞が6人の声で「ここに」を歌う姿も、きっともう過去に戻って見ることはできない。変わる前に戻ることはできない。でも5人の関ジャニ∞が「友よ」を歌う姿は、きっと今の5人でなければ歌えないものだと思う。この傷があるからこそ匂い立つ人生の力を、見たくなかったとはもう言えない。変わることを恐れることはきっとこれからもやめられないけれど、変わった後の姿を美しい道にしてきた関ジャニ∞のこれからに期待することも、そしてこれからの人生もどうか最高のものであるようにと願うこともやめられない。

 


そんな訳で、私は関ジャニ∞から離れることはできない。歳を重ねた彼らだからこそ歌えるもの、見えるもの、できることを見せてくれるであろうこれからが楽しみだし、アイドルと呼ぶにはあまりにも生々しい生き様が映し出される、その上で「アイドルであること」を選んだ彼らのこれからの人生の援軍になれるかもしれないことが嬉しい。今まで通りにならなくても、その分これからを作り上げられるということを証明してきた関ジャニ∞に、これからもついていきたい。というか、きっと離してくれないだろうから、関ジャニ∞の援軍として、これからも人生を共にしていく。

改めて、これからもよろしく!

 

*1:それぞれ「TOP HAT」と「クイーン・エリザベス」