光を見ている

まるっと愛でる

あの星空

5年前の今日、私は小学5年生でした。学校にいて、委員会で集まっていました。



ゆっくり、ゆさゆさと揺れはじめ、大きいなーと思っていると急に大きな横揺れになり、これはヤバいと思い咄嗟にドアを開け、机の下に潜りました。



揺れが収まり、先生に連れられて校庭に避難しました。廊下が薄暗くて、空気が止まっている感じでした。校庭に出ると、雪が降ってきました。岩手は3月でも冬並に寒く、雪も普通に降ります。しかし、前日は春のような暖かさで、その日から薄手の上着を着た私は、寒さと恐怖と心細さで不安でした。その時、私と同じように薄手の服装の子に、ある先生が自分の上着を掛けていました。その上着の下はノースリーブのワンピースで、雪の下で凛としていた先生の姿を覚えています。




かなり大きい余震が何回も来て、隣にいた同じクラスの子が泣いていた時、ひたすら「大丈夫だから」とだけ言って背中をさすっていました。ただ言うしかなかった。全体が大きな混乱に陥ることはなかったのですが、その小さい世界だけでも、とても不安だった。私は内陸に住んでいますが、かつて祖父母の家は沿岸にあり、そちらの友達も何人かいますし、思い出の場所は沢山ありました。そこは今どうなっているのか。考えてもわかりませんでした。



迎えが来て、家に帰ると、薄暗い家でした。そこで停電していることを初めて知りました。パンと牛乳の夕飯を終えると多分7時頃でした。父が携帯でTVを見ていました。中継らしく、津波の映像が延々と流れていました。何が起こっているのかその時よくわかりませんでした。真っ暗い家で見る津波の映像は恐怖でした。家に流れるとても静かな緊張感を覚えています。




当時小5と小1の姉弟の不安をどうにかしようと思ったのでしょう、母が「星すごいよ」と言い、父、弟と共に外に出ました。信じられないくらい静かな町に、信じられない沢山の星がありました。町が停電しているので、一切の明かりがなく、初めて町で見た満天の星空でした。何も考えなかった瞬間、綺麗だと思いました。でも、今沿岸で何が起こっているのか考えると、緩やかな不安と恐怖は消えませんでした。そして翌日、電気、水道が復活し、新聞に「東日本大震災」の文字がありました。




これが私の震災の記憶です。読んだ方の中には、直接被害を受けた方もいらっしゃるでしょう。これを読んで不快に思う方、被害者ヅラするなと思う方もいることでしょう。ただ自分が覚えているために書いておこうと思ったのでこれを書きました。私の周りの人は皆生きています。祖母は震災の2年ほど前に内陸に越してきており、逃れることができています。でも、沿岸に家があった時の友達が今何をしているかは、知りません。わからないんです。



あまり接点のなくなった沿岸に行ったのは、実は去年が初めてです。震災の翌年に、スポ少の試合で行ってはいるのですが、被害を受けた所をしっかり見たのは去年が初めてです。震災からずっとそのままの姿で保存されている建物があるのですが、壮絶でした。3、4階建ての高さの建物が丸々波をかぶって、向こうの景色が見えました。そして、今建築中の建物と立ちよりできるSAのような物以外何もないんです。震災前は、町があって、言ったらごちゃごちゃしていたのが、ほんと不自然なんです。建物がぽこぽこある以外ひたすら平らな町を見て、その時ようやく起こったことを見たような気がしました。




忘れないでいて欲しいと思います。思い出すのは3月11日だけでもいいから、起こったことは忘れないで欲しいです。私は、きっと私の住む町で見たあの星空を、この日が来る度思い出して、一生忘れません。そして、震災のことも一生忘れないで過ごしていきます。