光を見ている

まるっと愛でる

終わらせる勇気があるなら 消えない悲しみがあるなら

(2019.7.26加筆修正、セトリに関わる内容を書き加えました)

 

 

 

私の人生初ジャニーズのライブ、関ジャニ∞「十五祭」初日札幌、参加してきました。まず、ほんっっっとうに楽しかった!!!!!!

細かい感想は、正直トリ頭ゆえに覚えきれないのと、この感じが初日特有のものなのか私には掴めなくて、感じたことを残しておきたくて、できたらこんな感じだったんだ、なんて思ってくれる人がいればと思うので、感想書きます。セトリ、楽曲には触れないように書きたかったのですが...ごめんなさい、何曲か触れています。8人時代、7人時代のメンバーの名前が出てきます。どうぞ読み進めるかご自分で判断していただいて。では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十五祭、確かに祭りと銘打っただけあって本当に楽しくて、華やかで賑やかでした。でも、私が今まで見てきた関ジャニ∞のライブと違った空気が流れていたように感じました。

彼らはこの十五祭で、これまでの14年間、8人だったこと、そして7人だったことへ区切りをつけにきたように感じました。

去年のGR8ESTの生々しい痛みは、なかなか消えなかったし消せなかったものだったと思います。私がジャッジできることではないですが、メンバーを1人失い、1人は怪我を負ったままでも、彼らは不完全な姿でステージに立ち、喪失も緊張も焦りも笑顔も感傷も、リアルタイムで起こっているものをそのまま見せてくれました。隠したり、隠しきれなかったものがこぼれてしまったりしながら。

6人で動き出してから1年、そして15周年を迎えた今の関ジャニ∞は、痛みも喪失も公に出せるほどになり、感傷や苦しみまでもを静かに語ることができるようになっていました。

15周年を迎えた今回の関ジャニ∞のライブは、これまでの出来事を全て過去にして、これからも進むために、それらにピリオドを打つためのものなのだと思いました。アルバムを提げたツアーではない、これまでの曲をやるアニバーサリーツアーなのだから、懐かしさが漂うのかなと思っていたのですが、みんな未来を見て、多分ここで立ち止まるつもりはないのだと感じました。過去はあまりに偉大であまりに大切なものだから、切り捨てられるはずがありません。それでも6人で先に行くしかないのだから、全てを抱えたまま未来に向かっているのだと、そんな気迫を感じました。ファン歴が長い方にとっては、この曲をやったのか!だとか、今この曲をやるってことはこんなメッセージを込めているんだろうなだとか、私より気づくことが多いことでしょう。ファン歴がそんなに長くない私は、どの曲をやったのも、本当にお祭りだから、お祝いだから選んだのかな、と思いました。例えばJAMコンのAnswerとノスタルジアが、意図したのか偶然なのか、7人最後のユニットソングが3馬鹿と年下に分かれたように、どの曲にも曲そのものが持つエモや言葉の力、歌声の力以上の何かは感じさせない、純粋に歌ってくれて楽しい、踊ってくれて嬉しい、と感じました。うん、本当にてんこ盛りで楽しませてくれる祭りでした。

 

未来に向かう雰囲気の中、1曲だけ過去に目を向けたような空気を感じた曲がありました。「大阪ロマネスク」です。今回ライブでやった曲は、もう6人の関ジャニ∞の曲になっていました。今回に限らず、関ジャニ∞のほとんどの曲は、GR8ESTの時から6人の曲になっていました。それは関ジャニ∞が6人であることを証明することに他ならないと思います。

この曲だけは、今まで未来を向いて歌っていた6人が、このライブで唯一過去を見ていたように感じました。過去に浸るのではなくて、もう戻れないアルバムの中の写真を見ながら歌っているような。この曲の時だけ、6人は7人の関ジャニ∞が見えていたのかな、なんて思い、切なくなりました。

 

本編ラストの曲は「咲く、今。」でした。ピンクのライティングで花びらが散っている演出で、会場に桜が散っているようでした。私は春は別れの季節、そして桜は門出や別れの象徴だと思っています。あの曲を6人で歌う姿を見て、ああ、本当にこれまでが終わるのか、と切なくなりました。私は6人になった時から関ジャニ∞から好きになりました。はっきり好きだと自覚したのはGR8ESTからです。でも、私の関ジャニ∞の始まりは7人の姿です。あの報道があってからの3ヶ月間、絶対に目を逸らしてははいけないと追いかけ続け、そしてあの関ジャムで7人の最後を見届けて。あんなに苦しくて、あんなに切なくて、あんなに愛おしい時間も、過去になるのか。その決別にどれだけの覚悟があったのか。

 

 

 

明るく楽しい祭りでも、何回かすばるさんのパートだったところで誰も歌わなかった無音の瞬間があって。映像があって。照明も8色あって。前に行こうとするくせに、急に生々しさが蘇る場面もありました。でもだからこそ、人間くさい、全てを捨てることができない、取り繕うこちができない、不器用でまっすぐな関ジャニ∞が愛おしかったです。

 

 

 

出来事ではなく、示した姿勢でこれからの歴史を重ねる。そんな年にしていくためのこの祭りなのかなと思いました。去年の関ジャニ∞を象徴する曲と言えば「ここに」だと思います。しかし、去年はどこか自分たちを鼓舞するように聴こえた「ここに」は、今の関ジャニ∞が歌うことで、本当の意味での「始まるんじゃない 始めるんだぜ!」になったのかも、なんて思いました。

十五祭を見て、改めて関ジャニ∞の曲の強さを感じました。去年、すばるさんが最後に関ジャニ∞で歌う曲が「渋谷すばるラストセットリスト」と言われていました。未だに7人最後のMステを消せずにいるのですが、発売当時はただただ明るいだけに聴こえた「がむしゃら行進曲」が、あんなに背中を押す応援歌になるなんて思いませんでした。「大阪ロマネスク」が、ただの大阪の歌ではなく、故郷を持つ人の、故郷を愛する人の歌だと知りませんでした。そして「LIFE」が、あんなにあの時の関ジャニ∞の全てを歌う曲になるなんて思いませんでした。

関ジャニ∞は、関ジャニ∞の曲に導かれて進んでいるのだと思います。成るように成る、というにはあまりに酷で、あまりに美しい話に聞こえますが、関ジャニ∞は自分の道を自分で作り上げて進む人たちなんだなと、歌う姿を見ながら改めて感じました。

だから、これから関ジャニ∞が何を歌い、どこへ行くのか、俄然楽しみになりました。多分関ジャニ∞は、もう未来に向かう準備も覚悟も出来ています。続きをこれからも切り拓いて行ってくれるだろうし、関ジャニ∞としてこれからも生き続けて行ってくれるだろうと思います。どんな形になるかはわかりませんが、これからの行き先も、一緒に見させてほしい。そう思った十五祭でした。

進んでくれて、ありがとう。諦めないでいてくれて、ありがとう。これからも、どうぞよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、村上さんの歌声について。相変わらず村上さんは演者のままで、今までライブDVDで聴いてきたようにまっすぐな歌声でした。そして、実際歌う姿を見ると、聴いているファンに寄り添うように歌い、力強く引っ張り上げるように歌い、隙間を作らないように歌い。そして、村上さんって、振り付けがないところでもずーっと踊っているんですよ。ゆらゆら揺れたり、移動する時にステップを踏んだり。そーゆーとこツボなのさというか、マジで愛おしいです。どうか、村上さんがずっと楽しく歌って踊っていられますように。ずっと楽しくアイドルをやっていけますように。