光を見ている

まるっと愛でる

声が届くということ

 

 

私が関ジャニ∞をきちんと追いかけ始めたのは、去年の4月から、すばるさん脱退が発表されてからです。しかし、私のジャニヲタ人生において関ジャニ∞というのは結構鍵になるグループでした。それまでロックばかりを好みジャニーズを完全にシャットアウトしていた、言葉を選ばずに言えばジャニーズを毛嫌いしていた頃に、好きだったラジオ番組で流れたかっこいい曲、それは「象」でした。あの曲を聴いて、ジャニーズなのにこんなギターゴリゴリの曲をバンドみたいに歌うんだ、こんなジャニーズもいるんだと思ってから2年後、私はよくわからないうちにジャニヲタとなり、当時は聴こうともしなかったジャニーズの曲を聴きまくり、ポップスの素晴らしさを知るようになりました。そうやって着々と私のジャニヲタ度が練磨されていくのと反対に、関ジャニ∞はバンドの曲が増えていき、演奏するグループになっていったように思いました。そしていつも真ん中に力強く存在していたのはすばるさん、そんな関ジャニ∞を見ていました。

私の関ジャニ∞のきっかけは「象」ですが、メンバーを最初に認識したのは村上さんでした。「月曜から夜更かし」です。マツコさんと二人きりであんなにガンガン喋れるってすごいなと当時はバラエティの印象しか持っていなかったのですが、ジャニヲタになってから関ジャニ∞を音楽番組で見て、バンドスタイルの中キーボードを弾く村上さんを見て度肝を抜いた記憶があります。そんなギャップ聞いてないって...!つって。

バンド曲が増えるに連れ当然キーボードの村上さんを見る機会も増えていくわけですが、その中での村上さんは、演奏しながらも人差し指を掲げて誰よりも会場を冷静に見つつ煽り、どんな激しい曲でも一歩引いたところで全体を見ている印象でした。関ジャニ∞において、村上さんはバラエティでは引っ張り、音楽では支える役割なのかなと勝手に思っていました。すばるさんラストの関ジャムで、「LIFE」で周りが一瞬崩れた時も、一人村上さんの「君がくれた笑顔で笑いたい」が聴こえたとき、強い人だなと思うと同時に、心の内を見せない人だなとも思いました。

 

 

すばるさんがいなくなってからもどうも関ジャニ∞は気になる存在であり続けたので、「ここに」を買い、GR8ESTのライブレポを見て、ついに先日GR8ESTの初回盤ライブDVDを買い、見ました。見て、一つ書いておきたいことがあるので、それについての感想です。

 

 

 

 

 

 

 

すばるさんが去ったことにより、歌割は変わり、私の知っているシングル2枚分*1とアルバム2枚分*2関ジャニ∞の曲でも、記憶と違う声が聴こえることの連続でした。*3

バンドブロックのラストに歌われたのは「オモイダマ」でした。この曲ですが、私はすばるさんの印象を持っていました。それは「まぶしかった」のあのシャウトの印象が強く、あんな風に歌うジャニーズを彼以外に知らなかったからです。だから、あのシャウトがなくなったオモイダマを想像して、どこか物足りなく、寂しく感じていました。

 

 

 

立ち上がるたびに転んで 這いつくばってでも進んで
報われる日もある 報われない日もある
それでも"選んだ道"を悔やんだりしたことなかった
"きっともう一度"
その夢に届くまで 僕らここにいるよ

 

 

 

ここにいるよ、の後、歌詞カードには書かれていませんが、元々はすばるさんと亮ちゃんのハモりのパートがあります。歌詞にすれば「wo-」になるような、歌と言うよりも叫びのパートです。亮ちゃんがメイン、すばるさんが下ハモでした。このパートが、亮ちゃんが下ハモ、そして村上さんがメインを歌いました。

 

 

 

 

 

村上さんの歌声、叫びを聴いたとき、本当に本当にびっくりしました。村上さんの声があまりにも真っ直ぐなのに切なく響いて。ドームで何万人もを相手にしているはずなのに、村上さんがたった一人で歌っているように見えて仕方なかった。村上さんの歌声は、明るい曲では村上さんの声が乗ったような明るさをつけるけれど、歌声そのものにはあまり表情をつけないタイプだと感じていました。あの叫びもやはり、さみしいだとか、反対に歌っていて気持ちいい、といった感情は一切読み取れませんでした。でも、歌詞のない叫びで音楽を届けたと、それが伝わりました。

関ジャニ∞の歌の醍醐味はハモりである、と誰かが書いていたのを読んだことがあります。関ジャニ∞を聴けば聴くほど、まさにその通りだと感じます。関ジャニ∞の魅力は、低音高音の役割分担がしっかり分けられており、それらをきちんと歌えるだけでなく、各々の声のキャラ立ちが特にしっかりしていることもその一因を担うと思います。透明な声の横山さん、魂が鬼気迫ってくるようなすばるさん、甘く響く丸山さん、何にでもなれる器用な安田さん、咆哮のように唸り響く亮ちゃん、艶っぽく支える大倉さん。しかし、村上さんの歌声だけは、そういったキャラクター性というものが薄いように思います。丁寧に歌う印象はあったのですが、どんな声というよりも、ただ村上信五がその声を出す、そんな印象を持っていました。バラエティなどではトーンをコントロールして存在感を放つ声が、グループの中で響くと、関ジャニ∞の村上さんを見せられているのか、村上信五そのままを見せられているのかわからなくて、そしてその剥き出しの歌声に心を掴まれました。歌声に癖がないとかそういう話ではなく、こんなにまっすぐに、色々なものと正面から対峙してきた人柄が表れた歌を歌うとは。声の力、人間の力が確かにある歌声でした。

去年の4月から関ジャニ∞を追いかけて改めて感じたのは、村上さんは言葉で伝える人であるということです。それは時に表現としての「伝える」ではなく、グループを守るために最低限必要なことを「伝達」するのみに抑え、あとは語らないで守り抜く人なのかなと思いました。だから歌う時も、眉を八の字にして目を潤ませて、涙を堪えるような表情をしているのに、決して涙で声を詰まらせることなく無音の隙間を作らないように歌っていたのを見て、もどかしさのようなものを感じました。会見で大倉さんの「納得していない」の言葉に救われたように感じたのは、私の思いを言葉にしてくれたからです。横山さんとすばるさんのエイトブンノ二、あそこで二人の思いを二週に渡って語ってくれたから、三馬鹿の一人である横山さんの気持ちは安心できたところがありますが、喋りが武器だと思っていた村上さんの言葉や思いは結局ほとんど聞けないまま過ぎてしまったように感じていました。それがグループのバランスを踏まえ、グループを続けていくための方法だったとしても、村上さん自身を守るためだったとしても。

そんな中一番たまらなくなったのは、MC集でカラオケの話を聞いたときでした。スタッフさんに嫌がられるくらいカラオケに行こうと誘うって、そんだけカラオケが好きってことで、つまり歌うことが好きってことじゃないですか。その人が、人の心に語り掛けるのに例え意図していなくても選んだのが、たどり着いたのが歌声だった。守るために隠し切った人の歌声がこんなにまっすぐな歌声だった。言葉の力を超えた村上さんの歌声を聞いて、あまりに関ジャニ∞的だと思いました。人数が減り、何よりメインボーカル、7人の真ん中にいたすばるさんがいなくなりましたが、関ジャニ∞が歌うことで生まれる力は6人の中に根付いているから、歌の力を持ち続けているから、これからもエイトの歌は大丈夫だ、そう思いました。

 

 

 

 

とんでもポエミーな文章になっちまいましたが、割とマジピュアな気持ちで書きました。このような経緯で、私の中で関ジャニ∞は少し気になる存在になりました。 エイターと名乗るのはまだ違う気がするのですが、関ジャニ∞のライブにもしも行けたら、村上さんのうちわを持って、村上さんの歌を聴きたい。そう思いました。

*1:応答セヨとなぐりガキBEAT

*2:ニズムと元気

*3:逆に、すばるさんの声を知らず、6人バージョンが初めての曲も多かったです