光を見ている

まるっと愛でる

『錦★鯉』

こんにちは。ひやチュウです。 突然ですが、皆さんは二重でしょうか。私は一重です。両親共に二重なのに娘の私はド一重。訳がわかりません。というわけで最近アイプチを購入して二重を作ってみました。やってびっくり。超目が開きやすい。一重だと瞼が重く「見える」とかじゃなくて普通に重いんだわこりゃ。Gがこんなに変わるもんかと感動しました。よっしゃこれで私もぱっちりの仲間入りか、と思ったのですがここで一つ問題発生。私は眼鏡ユーザーなのである。フレームが結構しっかりしているので、瞼が目立たないのだ。コンタクトにしてみようかな、と考えたことも過去何回かありますが、その度に母に言われた「あんた眼鏡ないと顔の主張がなさ過ぎる」がちらつき、まっ平らよりはかけてるほうがマシかな...と考え、今に至ります。見えないところのお洒落って大変ですね!!でも大人の階段登ってる気がします。君はまだシンデレラっさ~...

 

 

 

 

V6を好きになってから、色々V6関連のことを調べて行くうちに、演技者。というものを目にするようになりました。「舞台とテレビのコラボレーション」のキャッチコピーをうたい、ジャニーズが外部の劇団とタッグを組んで芝居をするらしい。と、何だか面白そうじゃないかとググってみると、興味をそそられるタイトルと、そして演者の組み合わせ。見るしかないと思い、DVD BOX3を購入しました。これを選んだのは、『錦★鯉』が入っているからです。長野くんと坂本くんが出てるなんてナニソレ最高じゃーん!!みたいなノリで見たのですが

 

 

 

 

        やべえ。

 

 

 

全て引っくるめて「演技者。」やばかった。ストーリーも画も何もかもやばかった。見終わって呆然とした。これがテレビで普通に放送されていたなんてうらやましすぎる。ということで、感想というかひたすら凄かったんだよというのを書きます。長野担の主観です。それでも作品として凄かったです。内容にがっつり触れますので、そこんとこよろしくおね!!

 

 

 

 まず、演技者。最大の特徴は何と言っても「舞台とテレビのコラボレーション」というところだと思いますが、いいとこ取りに留まらない、相乗効果が止まんねえって感じでした。舞台の利点は客に全体を映せること、テレビの利点は見せたいところだけを映せることだと思います。空間を撮るか、点を撮るかの違いです。漫画で言う集中線の役割がアップのカットです。そうやって生ものである舞台では出来ない演出をしているので、ドラマかな、とも思いました。しかし、作品自体に漂う何とも言えないアングラ感と、舞台っぽいノリと、*1劇場で観劇したときに感じる、肉眼で見ている目の前のステージで異世界が広がっているような感覚と、普通のドラマと比べ明らかに少ない演者とセットとで、確かに演劇でもある。とても面白いです。目の前で起こっているのにテレビよりも非日常という感覚でした。

 一幕、二幕というような区切りこそあれ、全て流れとして繋がっており、ちりばめられた伏線をスピーディーに回収し鮮やかに展開していく、明らかにドラマとは違ったものでした。最もそれを感じたのが終わり方です。いい意味でとても唐突な終わりで、話は終わってもその後を考えさせられる余裕、自分の考えを交ぜて想像させてくれる余白をくれるようなラストでした。映画を見た後や舞台を観劇した後椅子から立ち上がれなくなるような、あの感じです。ストーリーも勿論ですが、空気を楽しんだな、というあの感覚です。

また、ドラマというのは基本的にストーリーを楽しむものだと思うのですが、舞台というのは伝えたいメッセージありきで作られるものです。ストーリーを追って行くうちにそれにたどり着いたときのワクワクが堪らないところです。

 

 

 

 

 

 

ということで、感想を書こうと思うのですが、内容がわからなすぎると何も伝えられない気がするので超絶ざっくりあらすじを、というか話の流れを書きます。※ネタバレになるので気をつけてください!!

 

 

 

《(主な)登場人物》

水野(長野博):赤星組・組長。先代に見込まれ、サラリーマンから転身することになった。

 

吉田(坂本昌行):水野の幼なじみ。フリーターだったが、水野が組長になったことをきっかけに赤星組に入り浸るようになった。何かと水野に張り合う。

 

裕子(中山エミリ):水野の妻。

 

赤星(尾方宣久):先代の息子。赤星組の組員。

 

坂口(大河内浩):古い任侠。赤星組の組員。

 

小田島(きたろう):狭山組から赤星組の組員になった。

 

安那(佐藤江梨子):吉田の彼女。中国人。

 

老ヤクザ(ミッキーカーチス)

 

パオさん(本間しげる):謎の中国人

 

 《(ざっくりとした)あらすじ》

先代に見込まれて赤星組の組長となった水野は、小中高大ずっと一緒の幼なじみ・吉田、赤星組の組員、赤星・坂口、妻の裕子と共に組長としての日々を送る。しかし、元々サラリーマンだった水野は、ヤクザのルールというものがわからず上手くいかない。しかし水野は「本物のヤクザになりたい」、そして「爪の先までいっぱいになりたい」と、背中に入れた錦鯉の入れ墨を見せる。しかし錦鯉には赤い色はまだ入っていない。そんな時、思わぬ刺客が赤星組にやってきて発砲、水野を庇い坂口が撃たれる。頭に血が上った水野は狭山組に殴り込みに行くも、あっさり捕まって一年刑務所のお世話になる。その刑務所の中で出会った老ヤクザに「睨めっこ」を教わる。「自分の命を投げ出すつもりで睨みつけろ。」すると、段々と水野の眼が変わっていく。一年経ち出所しした水野は赤星組に向かうが、組は看板を下ろし堅気として中華料理屋になっていた。破門状が回っていてもう赤星組はどうすることもできない状態だったのだ。そのことを知り驚愕する水野。せっかく堅気になったのだから、と言われても「俺はヤクザなんだ」と。すると、急に狭山組が襲撃をかけてくる。うろたえる面々の中、一人慌てずにいる水野。その眼差しは赤星組の組長のもの。「ヤクザは結局ヤクザ」と、赤星組として抗争をすることを決めた小田島・赤星・坂口は水野と盃を交わして事務所を出て行き抗争に向かった。吉田も盃を交わそうとするが、水野に止められる。そして水野も抗争へ向かう...

 

 

 

 という話を、4週に分けて放送していた、らしいです。ヤクザ用語や独特の言い回しがいっぱい出てきてちょムズでした。

 

でもって、ここから感想です。ほぼ水野と吉田の二人のことしか書きません。ご了承あれ。

 

 

 

 

 

 

まず、私の考えるテレビドラマ作品と演劇作品の違いは、先述したようにストーリーを一番に伝えるかメッセージを伝えるかのどちらに重きを置くかだと思います。『錦★鯉』は劇団MONOという劇団の作品なのですが、*2そちらのサイトには『ルールとは何か』がテーマであると記載されています。その通り、この話には沢山のルールが張り巡らされています。

 

 

 

水野は「本当のヤクザになりたい」と望み、だからヤクザのしきたりもちゃんとしようとしています。その一つに立場のあり方が見られます。

星組の組長とは言え、一番の新入りなので水野は赤星や坂口、小田島には敬語を使っています。盃を交わした後でもそれは変わりません。また、赤星達も、組長である水野には敬語を使います。

しかし、吉田は違います。前編通して吉田が水野に敬語を使ったのは一回きりです。水野は吉田にも「俺は組長だぞ」と組である以上自分の方が立場が上であることを示し、組の人間として立場をわきまえない吉田に怒っていましたが、吉田はずっと水野に対して幼なじみのままの態度を取っていました。

 

堅気から再びヤクザに戻り、狭山組と抗争をするとなったとき、水野は三人と盃を交わします。小田島と交わす時は、二人とも両手でコップを持ち、底を手で支える丁寧な持ち方をしています。続く赤星と坂口のときは、二人は片手でしたが、*3水野は小田島のときと同じように両手でコップを持ちます。ここからも、水野はヤクザのルールをきちんと守っていることが窺えます。

三人が抗争へ行った後、吉田は「お前には絶対負けねえからな」と言い、ものすごく怯えながらコップを二つ水野の所へ持っていき、酒を注ぎ、震える手をコップに伸ばし盃を自分から交わそうとします。

ところが、それを水野が止めます。「止めとけ。元々向いてなかったんだ、ヤクザ」と吉田の手を押さえ言い、水野は盃を一人であおり、抗争へ向かいます。

 

ここ。と言うよりこの一連の流れ。水野はもう赤星組の組長で、刑務所のなかで老ヤクザに鍛えられたこともあって、眼差しがすごいんです。一番の新入りから一気に組長の凄みを持つ眼差しになって全てを見ています。最初はどこかサラリーマン風情の消えない様子だったのが、正真正銘の組長になっているのです。堅気になって一年以経ち、その間ヤクザ業をしていなかった赤星組が抗争で勝てる筈がありません。それをわかっていて、ヤクザだから赤星達は向かい、水野は送り出したのです。ヤクザのルールに則り、彼らは抗争へ向かいます。

そんな水野が、吉田の盃を止めさせた。それには「お前はヤクザではない」というメッセージが込められています。この二人は小中高大からのずっと幼なじみですが、吉田は就職の所から水野に差をつけられ、より張り合おうとしています。自分も組の人間として闘って認められて、水野に追いつこうとしたのだと思います。それを止めさせたということは、水野は吉田を認めていないということであり、また今まで通りの幼なじみの関係でいてほしいという気持ちの表れなのかなと思いました。

 

 

そして、一人盃をあおり狭山組の元へ向かう水野。その道は、一年前に殴り込みに行った時に通ったのと同じ道です。恐れた様子は一切なく、向かいにいる狭山組の人々を睨みつけながら進んでいく。そして上着を脱ぎにシャツを脱ぎ、上半身裸になった水野は背中に錦鯉を背負い、歩みを止めずに向かって行きます。

水野は銃で撃たれます。しかし止まらず、水野は睨みつけたまま狭山組へと向かいます。

 

 

 

ここで、水野を追いかけてきた吉田が映されます。膝は震え、水野とは正反対に怯えた様子が隠し切れません。それでも、水野と同じように進んでいきます。

そして吉田も撃たれます。膝から崩れ、立とうとしても叶わず、その場に倒れ込みます。そして吉田は、最期に自分の目の前で事切れて倒れている水野の背中を見ます。水野の背中には、撃たれ、自らの血で赤く染まった錦鯉が鎮座していました。それを見て、吉田は「錦鯉、なったじゃねえか」とつぶやいたのでした。そのBGMに、真心ブラザーズがカバーした、吉田拓郎さんの「流星」が流れています。

 

 

君の欲しいものは 何ですか

僕の欲しかったものは 何ですか

 

 

 

 

シーンは変わり、残された裕子と安那がオセロをしています。コマをひっくり返された安那は納得いかない様子で「ひっくり返して面白い?」と問い掛けます。裕子は「面白いわよ?...ううん、面白くない。ルールに乗れた人だけが面白いのよ」とつぶやきます。そして裕子が目をやった先には、血まみれのコップが五つ並んでいます。四つは割れて原型を留めていないなか、一つだけ、形を保ったままのコップ。

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田の台詞「錦鯉、なったじゃねえか」は、ニアイコール「組長になったじゃねえか」の意味だと思います。吉田は、水野の望みである「本当のヤクザになる」ことを認めたと同時に、友人の望みが叶ったことをわかったのかなと思います。

水野が最後まで崩さなかった「命を投げ出した眼」の強さ、そしてそれは組長の条件であり、組長はこうでなければならないという不文のルールです。錦鯉で赤星組を背負い、眼差しで組長と認められたのだと思います。

 吉田は盃を交わしていないので、厳密には赤星組ではありません。任侠のルールでは水野に認められず追いつくことも出来ませんでした。しかし、幼なじみとして水野の望みを見届け、吉田だけは盃の酒を飲まないで来た、水野の任侠の世界に入ってくるなという思いを汲み取った上で来た、つまり水野の友人としてついてきた、ただ一人の人物なのです。

 

 

 

 

 

 

ルール。水野と吉田は、この中でルールで繋がっていない唯一の関係です。組長と子分でもない、古顔と新入りでもない、敵と味方でもない、夫と妻でもない、幼なじみです。しかし、二人を取り巻く環境は変わっています。それでも水野は変わりたくなかった。対する吉田は変わりたかった。水野は組のルールに吉田を組み込み、友人という関係が変わるのが嫌で、吉田は組のルールに従って生きる水野に追いつきたかった。そして、水野が吉田を変わらせないままで終わり、吉田はその思いに気づき、友人としてルールを守りきったのです。

 

 

 

一番ズーンときたのは、やっぱり吉田の最後の台詞です。ルールの中で生きていくと覚悟を決めた人の、そのルールに組み込まれる目的であり原動力を一番理解していたのが、そのルールの中にいない人だったということです。一番の理解者が、ルールを超えた所にいたというのもそうですが、吉田が水野の思いを理解していたというのに感動しました。感動というか、嬉しかったです。

水野は、自分の決めたルールに賛同して、一緒に従ってくれる人がいる、というところまではわかっているけれど、組長になる前から自分を知っている人も、自分を組長として認めてくれた、ということに気づいているかどうかはわかりません。水野の、ルールを守りたいというのは、それはヤクザになるためにもちろん必要なことですが、「爪の先までいっぱいになる」ための手段です。組員はその水野の望みは知らずあくまでも組長として水野に接しました。それは任侠の人間として当たり前のことです。組のルールとして水野に求められているのは、赤星組の組長として存在することだからです。でもだからこそ、水野の望みを理解出来たのは、任侠のルールの中にいなかった妻と友人だけであり、最後に見届けたのは、友人の吉田だったのです。

 

 

 

ここからヲタクの私情が入ります。ズバリ、『水野と吉田を長野・坂本が演じたこと』についてです。

まず、この二人は「ジャニーズ事務所で現存する最古のシンメ」の称号を持つシンメということです。この二人の出会いは、『錦★鯉』とは逆で、同じ事務所に所属しているという制約から始まっています。そこからSr.を経て同じグループになり今までいるわけですが。水野は組長なので、彼に並ぶ人はいません。しかし吉田には並んだままでいることを望みました。それがV6では、30年近く並んでやって来ているのです。*4かたやまっすぐに、かたや曲がりくねりしながら。*5そんな二人が、たぶん同じようなところから、同じように夢を見てグループをやっているんだろうなと考えると。この二人は互いをあまり語らず、特に博は言わないので、わからないですけど。わからないんすよほんと。だからこじらせてブログ書いちゃったんですけど。でも、『錦★鯉』を見て、水野と吉田な二人を見て、この作品では見せなかった関係が坂長にはきっとあって。安定感や信頼があるんだと思います。

つまりね、二人でいてくれることが尊いってことです。作品では一人で進んでいった水野ですが、演じている長野くんは隣に相方がいる関係でずっとやってきて、これからもきっとやっていくんだろうなと思うともう涙そうそうです!!

 

 

 

 

 

 

さて。ここまで読んでくださった方、大変恐縮です。くっっっっどい文章になりました。ともかく「演技者。」すごいおもしろかったです。舞台は今まで観たことがないのですが、これから何か見てみようと思います。何より『錦★鯉』に坂長二人を起用した方!!ありがとうございました!!涙も感動も吹き飛ぶ言い方をしますが、シンメの片割れが死んでいくのを見届けさせるラストっすからねこれ。激しくとんでもない作品です。また、「血まみれの自担が見たい」という欲望が叶っちまいましたからね。長野担大勝訴案件です。

 

 

 

 

『 錦★鯉』を見たあと、どうも心が落ち着かなくなったので、ライブDVDを見ると、歌って踊る長野くんの姿がありました。○コ動なんかを漁ると、バラエティで輝いている姿があり、笑っている姿があり。それを見て、唐突に「嗚呼...私博好きだわ...」と、しみじみと心臓が苦しくなりました。この感覚こそがアイドルを好きでいる醍醐味なのかなと思います。アイドルを好きでいることは幸せです。ジャニヲタ楽しい。そう思った今日この頃でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:例えば、数人での会話シーンの場合、テレビ番組では、いっぺんに話して会話の内容が全く聞き取れないのはあまりよろしくないことだと思います。しかし、演劇は空間を見せるものなので、極端に言えば会話のシーンはその仕草がわかっていればいいのだと思います。

*2:なお、赤星を演じている尾方宣久さんは劇団MONOの団員です

*3:両者とももう一方の手に物を持っていたから仕方がないのかもしれない

*4:坂本くんはリーダーですが、ご存知の通りバリバリに引っ張っていくスタンスではないので

*5:二人とも、というか誰もが羽陽曲折しているのは承知の上でね!!坂長ってヤンキーと優等生が仲良くなったっていう二次元設定が過ぎるぞみたいな馴れ初めじゃないですか!!意外とマサが真面目で博がヤンチャだったことも含めね!!